見出し画像

2020年の備忘録

今年のことを書いておこうとおもう。日記はやはりつけるべき。100年後には生きていないとしても、誰かのため?子孫のため?自分のため?に凡人の生活を残しておくのはいいことな気がする。子孫、子孫は生きているかも。娘の代で藤田の姓は終わるけども、血を引くものは生きているかもしれないし…ひいひいばあちゃんこんなこと考えていたのか、私たちとあんまり変わらないなー!とか思うかもしれない!


仕事

今年は異例のコロナ祭りだったということもあり、仕事に影響のあった人がたくさんいたであろう。自分も嫌な時期に肺炎になり、一回だけ漫画連載を休みました。全然元気だったけど、編集担当さんが、「休んで!!!!ください!!!」と言ってくれて、三年くらい連載してるけど初めて休みました。あとは特に影響がなかった。もともと家で仕事しているし、出かけるといえばたまの取材とか打ち合わせくらいだし。テレビの仕事は、出張がなくなったりしたのが2回くらいあった。いろんな都道府県に行きたい者としては残念だった。あとはリモート取材でテレビに出ることが多かった。あと夫は基本的に会社勤めだけど、家で仕事する日がとても多かった。邪魔だと思うことは特になかった。

娘が一年生になった。コロナということで、最初は三段階に分割して授業、そのうちに二段階、今は全員一緒に授業を受けている。娘は小学生になるのをとても楽しみにしていたので、可愛いランドセルを背負って、大好きな色の文房具に囲まれて幸せに過ごしてもらいたい。しかし残念ながら一人意地悪な女の子のターゲットにされてしまった。娘が、その子とおんなじ保育園だった子と仲良くなってしまったのが、癇に障ったようだった。物損、暴言、それが次第に「いじめ」というようなものに形を変えていきつつある。

娘は意地悪してくる子と、最初はどうにかして仲良くなりたい、と思っていたようだったので、そんなやつと仲良くしなくていいよと思いつつも、親は色々と仲良くなれる作戦を考えた。自分から誘ってみよう、押してダメなら引いてみよう、毎日作戦を練った。少しでも現状を面白がれるように。でも何にも変わらなかった。娘には、どうしようもなくなったら先生に言いなさいと伝えていたが、その子を悪者にしたくないという理由で最初は言い渋っていた。しかしかなり辛かったようで、しばらくして自分から先生に相談するようになった。その都度話し合いが行われ、娘の帰りは遅くなった。

今現在、二学期が終わり、そもそも周りに穏やかな子しかいなかった娘も、その子の暴言にはだいぶ慣れてきたようだ。しかし慣れていいもんではないと思う。小学校には色々な子がいるんだなと思った。親としては何一つ穏やかな気持ちで話を聞いていられなかったし、先生にも散々相談した。娘が学校に行きたくないよと涙を零すのは本当に苦しかった。

しかし娘の抱える問題はそれだけではなく、つい先日初めて参観日に行ったところ、娘のクラスは完全に学級崩壊状態であった。7人ぐらい暴れていた印象である。娘は特に暴れることもなく授業を受けていた(若干上の空ではあったが)。参観日というのは自分の子どもを観る時間に当たると思うのだが、本当にそれどころではございません、と言った具合だった。これを受けてか、二年次にクラス替えをすることになったと先日、保護者会で言われた。まるで毎年そうしていたかのように、さも決まっていたかのように、宣言された。三学期が終わるまで、まだ意地悪な子と一緒にいないといけないのは辛いが、終わりが見えるだけまだマシである。多分娘のされたことの傷を癒す速度より、意地悪をしてくる子の心のケアのほうが数千倍の時間がかかるだろう。これからも色んなことがあるだろうが、友人問題で悩むのが少し想像より早かったため、結構大人気なく介入してしまったが、まあ、これで良かったように思う。子どもは本当に可愛く、中学生とか高校生ぐらいまで最近は可愛いなと感じるようになったが、娘を嫌いな子どもだけは可愛いと思えないというのが正直な気持ちだ。それがはっきりした1年だった。

体調

先述したように肺炎になったということが面倒だったが、それも重症化せずあっさりと治った。肺炎は軽いものだったので、特に身体的に不便を感じることもなかった。咳が出たが、苦しくはなかった。咳をすると喉のかゆみが刺激されて気持ちいいと思うほどだったので、コロナかどうかの医療の判断までには至らず、だったが、コロナだったのかもしれない。今となっては知る術もない。

あとは低血糖なのが判明したのが今年気づいたことだろうか。30才を超えた頃から、夕方に動悸がして、手が震えて、立っていられなくなるようなことがあった。これは精神的なものだろうとずっと思っていたので、恥ずかしくて誰にも相談せずにいたが、ふとした会話の中から父と妹も同じ症状が出ると聞いて、うそっ!ってことは自分もただの低血糖か!!と気づけて嬉しかった。今はブドウ糖を持ち歩いている。糖質制限ダイエットをしていた時期もあるのでそういったものの副作用、もあるのかもしれない。とりあえず砂糖控えめに、というのが体に合わないと理解したので、積極的に糖を取るようにしている。

あと視力検査ではいつも好成績なのだが、どうしても目が見えないので理由を深く解析したところ「ピントが合うのに時間がかかる」ということだと思ったので、眼科を受診した。メガネの処方箋というのを作ってくれるのをご存知でしょうか?私が作ってもらったのはいわゆる遠近両用メガネで、上半分が遠くが見やすく、下半分が近くが見やすい、という仕組みのものだった。これを安いメガネ屋に持っていけば、2週間くらいで完全オリジナル完璧メガネが出来上がるということで作った。14,000円くらいだった。さいこ〜と思ったが、それが度が強くて強くて、かけたり外したりするたびに視力が根本的に悪くなった。メガネはかけないで済むようだったらかけないに限る。で、メガネが完全に手放せなくなってしまった。これは大失敗だった。

猫騒動

今年、秋頃にリビングで鍋をやってたら、臭いにつられたのか子猫4匹がウッドデッキからうちの中をのぞいていた。普段からうちのウッドデッキに猫通るなぁとは思っていたけど、どうやら新たに生まれた子猫たちが腹をすかせていたようだった。ネコロスの友達が数名いたので、周りに聞いた上で捕獲に踏み切った。すったもんだあって3匹の子猫と、1匹の親猫、そして1匹のとんでもなくでかい猫王を捕獲した。計5匹。保護団体の人と一緒に捕獲したのだが、こんなでかい猫見たことないというコメントをいただくほど猫王はデカかったし、ただネコ科というだけであって、佇まいはライオンそのものだった。全員、三鷹市のお力で無事ノミダニ駆除や、ワクチンや、去勢手術をして、子猫以外はまたリリースした。子猫3匹は猫好きの人たちが引き取ってくれて、幸せに暮らしているわ。でも何が猫にとっての幸せなのかは、だいぶ自問自答するハメになった。これは答えが出ないことであった。


来年やりたいこと

なんでかわからないけれど創作意欲が体に戻ってきたように思う。今なら絵が描けそうな気がする。中学生くらいの頃は描きたいものの塊でしかなかったこの体だが、仕事が忙し過ぎる時期や、妊娠出産を経て、地に足をつけなくてはならなくなったので、しばらくはできないなりに人間らしく振舞ってみたが、娘がかなりしっかりしてきたので好きなことができそうな気がしている。私もやりたいことをやっている姿を見せていこうと思う。それにしても私は絵とかそういうものは、考えたら負けだとずーっと思ってたんだけど、色々な創作物を見るに、何も考えないで、何も計算しないで作られているものは一つもないということに気づいた。正確には気づいていたけど、気づきたくなかった。昔みた北野武の「アキレスと亀」という映画で、確か、体に絵の具を塗ったくって、キャンバスに突撃するアートを作っている時に同級生が死亡する、みたいなシーンがあった気がするんだけど、芸術ってそういうものだと思っていたけど…そもそもなんで考えたら負けだと思っていたたんだろうか…だから背景が描けないのである。もっと綿密に背景まで本当は描きたいはずなのに、小物に宿る風情があるはずなのに、なんかやっとそんなことに気づけた。なので2021年は少し自分の作品を描いてみようと思う。がんばろっ。

あとは楽器とか久々にやってみようかなと思っている。これはやりたくなったらやろう。

あとは運動の習慣をつけようと思う。文章の短さからも意志の弱さが伺える。

まとめ

2020年は世界的にも大混乱の一年だったと思うが、個人的にはここ十年で一番穏やかに過ごせた一年だった。これからも絶対に調子に乗ることなく、平凡を目指して頑張っていきたいと思う。そして困ってる人を助けてあげたいと思う。娘と夫に美味しい料理を作ろうと思う。健康でいようと思う。仕事に敬意をはらいたいと思う。仕事でよくしてくれる人たちを大切にしていきたいと思う。友達と仲良くしたいと思う。家を綺麗にし続けたいと思う。おしまいっ!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?