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言葉はなんて無責任なのだろう。

20240601.

デザインのお仕事
入稿が終わって 
ほっと。
 
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いつだって
自分の心に正直に。
自分の言葉で表現をしたいと思っている。

けれどそうして
世に放たれた自分の言葉が
知らない間に、気づかないうちに
誰かを傷つけたり、悲しませたり
しているのではないかと。
ふと、とても怖くなる。
時に自分をも落胆させたり、
そんな瞬間もあって。

そう思うと
怖くて、何も言えなくなる。
どんな言葉を使うのが正解なのか、
わからなくなる。
発言の自由が、無くなるかのように。

気持ちを言葉にして表すことは
ある意味覚悟で、とても怖く
そして、苦しい。

どこまでも
私は私で生きていきたいけれど
それで誰かを傷つけるのは
違うと思うから。
どうしたらいいのだろう。
そう考えると、
また言葉が出なくなる。

だけど時に
無責任な大丈夫に救われるときだってあるし、
そうして私も誰かを救いたいと思ってきた。
矛盾だらけだ。
言葉はなんて無責任なのだろう。

与えるのではなく分かち合いたいし、伝えるのではなく分かり合いたい。そんな些細な違いをも、大事にできる人でありたいと思ってきたはずなのに。頭と心はいつまでたってもお互いに寄り添ってはくれない。

けれど、自分が自分の言葉を信じられなくなるときがあるからこそ、その感覚を忘れずに自分の言葉を疑い続けたい。それはいろんな人の正しさを受け止められる人でありたいから。自分の、相手の生きるを、生きることを、肯定できる人でありたいと思うから。

心のお守りのような
そんな歌を歌う人がいる。

日常を鮮やかに彩るものではなくて
消えそうな小さな心を
紡いでいくための、歌。
そんなふうに私は思う。

私が紡ぐ言葉も
私が作るものたちも
彼の歌のように 
そっと、静かに
心のそばにいてほしい。

傷つけるのも救うのも
ひとつの言葉。

私は誰かを救える人に
なれるだろうか。

自分を救ってあげられる人で
いられるだろうか。

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生きる希望も
優しさも
幸せも

小さくていい。

小さくていいから、
どうか消えずに
灯り続けていてほしい。

どうか消えずに
これからに
紡いでいけますように。

そう願っている。


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