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親の《ネガティブな感情》を持ってしまう

娘が中学を卒業して、春休みになった。
中学の友達を家に呼んだり、友達と一緒にショッピングモールに出かけたり、今までにない動きをしだした娘。

そんな流れで、昨日は娘一人で散歩にも行った。
おっ、なんか新しい波が来てるねーと夫とも喜んでいた。

そんな感じで今日。
夫が珍しく夕方から出かけて留守なので、普段は甲殻類アレルギーのある夫に配慮して食べられない魚介類を使ったパスタを娘と作ることにした。

3時のおやつ用にバナナケーキを二人で作って、そのときはケンカもせず美味しいバナナケーキを焼けたので、このまま夕飯も作れるなぁと思っていた。

ところが、トマトソースの仕込みをしていた時に、味見に使ったスプーンを娘が「そのスプーン洗った?」といい、「洗ったよ」と私がいい、そこから私の機嫌が急に悪くなった。

実際、スプーンは水で流しただけだけど洗っていた。
でも、母親である私が使ったスプーンを水で洗っただけでは不十分だと娘に思われたのだと感じて、私はかなりショックを受けた。

娘は、私がスプーンを洗ったことが分からなかったらしい。

でも、両者の見解はすれ違ったまま時は流れた。

私の中で、娘に私の存在を全否定されたように感じて、私は最初怒りが湧いて抑えられなかった。
そのうちに哀しくなって、娘を拒絶したくなった。

いつも私に「ママ大好き!」といって幼児のように私にまとわりつく娘は、めんどくさい反面愛おしかった。

それなのに、この仕打ちはなんだろう?
こんなにいっぱいいろいろやっている私に、味見のスプーンを洗ったか聞くなんてどういうこと?

私の中で、愛の裏切りのストーリーがどんどん展開していって韓国ドラマのように壮大になっていた。

一人で勝手に妄想してボロボロ涙を流しながら、今朝の真美さんのオンラインコミュニティのライブ配信の話を思い出した。

今は、佐川奈津子著『グレープフルーツムーンに、お願い』を読んでいる。
そこで、”子どもは親の握り締めている思いを受け継いて生きようとする” っていう話をしていた。

そして、私はコメントで「私の親は、”愛したいのに愛されない” と思って生きています。」と入れた。

まさに、それを私も踏襲しようとしている。
めちゃめちゃ些細な出来事で、愛している家族を自分で切り捨てようと思った。

私は、親とは別の人間だと思っているし、そんなに影響を受けてはいないと思っているけれど、深い部分に彼らの思いが沁み込んでいてそちらに舵を取りたくなる。

いかんいかん。私は私であって、彼らの思いを引き継ぐ必要はない。
その思いは、お返しします。

私は、無償の愛の世界に生きると決めたから。
娘に怒ってしまった自分を許して、娘とも仲直りをしよう。


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