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表現したいことの先は

フラメンコ発表会から10日経ち、疲れが今頃ドッと出てきた。

最近疲れることがなかったからか、頑張りすぎたからか疲れていることに気づかず。
昨日、お友達のタロットリーディングで休息のカードが出て、自分の疲れに気づいた。

このところ学んできたことが腑に落ちることが多くて、noteに書きたかったけど疲れて出来なかった。
今日は昼間で寝ていたので、やっと書ける気力が湧いた。

先日観に行った映画『モリコーネ』。
私の大好きな人たちが推すので、エンリオ・モリコーネという人のことはよく知らないまま観に行った。

彼の映画音楽は、誰でも知っているはずだ。
特に『ニュー・シネマ・パラダイス』は、有名だろう。

彼は、トランペット奏者の父親にトランペット奏者になるように言われてトランペット奏者になったけれど、罪悪感を抱えつつ作曲家になり、クラシック音楽の師匠にも罪悪感を感じながら映画音楽を作り続けた。

求められるから作曲し、葛藤しながらも自分の表現したいことをやり続ける彼の姿勢に感銘を受けた。
そして最後のセリフに、私は鮮烈なシンパシーを感じた。

「どうしたらいいのか熟考し、もがいた先に何があるのかは、  分からない。」
彼のセリフそのままの言葉ではないかもしれないけれど、自分が意図して行動した先は委ねる感じたがスピリチュアルと同じだ。

偉大な映画作曲家と自分を並べるのはおこがましいけれど、自分のこうしたいと思う表現をするときに、自分という小さな肉体だけの存在で表現しようとすると限界を感じる。
だから、自分という枠をなくしてもっと大きなものに委ねることになるんだろうと思う。

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