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ネガティブな人との出会いからの気づき

この前、久しぶりにネガティブループにドハマりしている人に遭遇した。
私は、ネガティブな人は苦手なのでそういう方とはつき合わないけど、たまたま私がいる所にそういう人が来ちゃった。

そういう人は、人が何を言おうが自分が決めるまではネガティブループにハマり続ける。苦しい苦しいと言いながら、自分でそれを選んでいることに気づくまでやり続ける。

そういう人生を選んで産まれてくる人もいるし、選択の自由は個人に委ねられている。
もちろん誰かの助けが必要で公的機関で援助が出来るケースは、それを利用すればいい。

頭の中では俯瞰してそう思っているけれど、実際にそういう人を目の前にすると自分の中に嫌悪感が湧いてくる。

その人に会った直後は、なんでそんな人に遭遇するんだろう?なにかこの出来事に意味があるのかな?と悶々としていた。

昨夜もオンラインコミュニティでみんなとその話をして、あまり意味ないと思うからスルーしておこうって結論づけた。

でも今朝真未さんのライブ配信を聴きながら、ここ最近の出来事が私の中で繋がって気づいた。

ネガティブな人たちは自分の価値観を強く握りしめていて苦しそうで、そういうのは良くないと私がジャッジする気持ちがあるから嫌悪感が出てくるんだと気づいた。

夫の実家で舅が娘が無愛想だからなんとかしろと言ってくることにも私は腹立たしい気持ちが湧いたけれど、それも根っこは同じで相手の価値観を嫌悪してしまっている。

相手の価値観を尊重して、私の考えはこうで相手の考えはこうなんだねとフラットに捉えられるようになりたいね、と真未さんとコメントを通して話した。

そういう受け止めができるようになるには、もっと私自身の精神が拡大していくしかない。

もっとお互いを尊重できるような自分に、私はなりたい。


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