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なにものかになりたい

なにものかになりたくてもがいたり、なにものかになれていなくて悩む物語がすき。そういうひともすきだし、自分にも多かれ少なかれそういう面はあるのかもしれない。

クリスティン・”レディ・バード”・マクファーソンが”レディ・バード”と名乗るところにそれをひりひり感じる映画「レディ・バード」は、なにものかになりたい以外にも共感しどころの多い映画だった。

共感したポイントとしては、

わたしはなにものかになれるかもしれない、なりたい、だからこんなところにいてはいけない、というコアの考え、モチベーション。井の中の蛙だから大志を抱けたのかもしれない。

「こんなところにいてはいけない」の根底に、まさか故郷へのlove-hateな複雑な気持ちが潜んでいることに映画を観て気付かされるとは。監督のグレタ・ガーウィグがA24のポッドキャスト(最高)で「サクラメントが主役」と話していたのは、ビジュアル面ではもちろんなのだけど、映画のハートがそこにあるというのも大きいな。

サクラメントと日光を比べるのはおこがましいけれど(なんだか多方面にinconsiderateな発言かもしれない)シスター・サラ・ジョアンとレディ・バードのこの会話なんて首がもげるかと思うくらい頷いてしまう。長いけれど引用。

シスター: You clearly love Sacramento.
レディ・バード:I do?
シスター:You write about Sacramento so affectionately and with such care.
レディ・バード:I was just describing it.
シスター:Well it comes across as love.
レディ・バード:Sure, I guess I pay attention.
シスター:Don't you think maybe they are the same thing? Love and attention?

そしてレディ・バードの対比として描かれるクラスメイトたちが、特に疑問をもつことなく、あるいはほかに選択肢などないかのように故郷に根付いた生活基盤を築こうとするところもわかるな。

そして、母の努力、子知らずなところも今ならわかる。子供はいないけれど。ただ、両親に与えてもらったものがあるからこそ今日の自分が存在していると理解できるようになったし感謝するけれど、高校から大学に進学する頃の自分を振り返ると、窮屈さとか自分が達成できないことを全面的に両親とか環境のせいにしていたな。レディ・バードの両親も彼らなりの精一杯を彼女に注いでいたし、母親のレディ・バードへの愛は随所に見られたけど、大学入学に際して、彼女を空港に送るシーンの母親の行動にはワイパーが必要なほど泣いた。

最後に、大学生になってお酒に飲まれて運ばれたところもやや共感(笑えない)。

なにものかになれたのか?という自問自答をする映画としては「万引き家族」でパルム・ドールを獲った是枝監督の「海よりもまだ深く」がとっても好き。ここ数年の是枝監督作品で一番好きで共感できた(離婚した中年男性に)作品かもしれない。

思いがこみあげて書きなぐってしまったけれど「レディ・バード」まだまだ素敵なところに溢れているので、わたしもあと何回も観たいし、全力でおすすめしたい映画。

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