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最後は…

10歳ぐらいの時にハマってしまった考えがある。
「なぜ人間は存在するのか?」
どうせ最後は死ぬのになぜ産まれて生きているのか?
動物は種の存続のために繁殖し死ぬ
そもそも、なぜ種を存続させないといけないのか?
地球があるから?宇宙があるから?
なぜ、地球は存在する?宇宙の存在の意味は?

10歳の脳みそでしかも平均以下の知能しかない
普通の女の子には何の答えも導き出せないし、
難しい本も知識も持てない。

寝る前に考えていたのは、
実は見えない糸が手や足についていて
神様が操り人形のように人間を操っているのでは?
そしたら1人1人に神様がついてるのか?
それは変だし…。
「トゥルーマン・ショー」のように誰かがずっと見ていて
私以外の人たちは偽物?とか思ったりもしていました。

自分と他人が見ている物が違うかも?
赤と認識している色は他人は青と見ていて
他人が「これ青色だね」って言った瞬間から
私の耳に届く時に「これ赤だね」と聞こえているのでは?
なって、へんてこりんな考えにも囚われていた。

小学校後半から中学1年生ぐらいまでそんな事を
考えていたけど、中学2年生ぐらいからそんなことを
考えている時間がなくなる様になってきた。
現実世界が大変になてきたからと、少し知識がつくようになり
色々とその考えを掘り下げるヤバイ‼︎と思えてきたから。
「なぜ人は生きているのか?」と考えると
ブラックホールに吸い込まれて行く感覚が出てきた。
その考えから二度と出れなくなる。的な感じ。
それと現実世界のいじめが同時進行だったから。

いじめられている時この世の終わり。
と、思うよりも生きてるってこういう事か!
思えてきた。何か必死に生きてる。と感じた。
と、いうことは今まで私は幸せで安全な場所にいたから
なぜ、人は生きているのか?なんて思っていたのかも。

でも私の中で「なぜ人は生きるのか?」は残っていた。
それも変な形で。
英語、社会、理科、数学、国語。
学校の勉強をしているとき少し難しくなったり邪魔くさくなってくると、
どうせ死ぬのにこの勉強に何の意味があるのか。
なんて逃げの口実に使っていた。
もちろん声に出して言っていたわけではなく、心の中でそっと呟いてた。

勉強する意味は人のために役立つことを知るためで
義務教育中は基礎知識であり高校、大学と専門的に学び
社会貢献(会社で働くことも大きいくくりで社会貢献)
できるように…的なことなんだろうな〜って思っていたけど
それでも人がいなければ社会貢献も何も必要ないのに。
と、思っていてかなりひねくれたものの考えをしてて、
隠してはいたけどそれが滲み出ていたら、いじめられていたのかも。
と、今思えばと思うこともある。

考え方の癖なのか、何か思った時に1つの答えや1つの考えではなく
逆説も考えてしまう。こうかな?でもそれなら他の人はこう考えるかも。
とか、もう頭の中に色々な登場人物が出てきて勝手に討論会を広げてくる。
で、私個人の考えは?となった時「無」です。
私が無い。どれも私の考えだけど、どれも違う気がする。
で、答えを出すときはマイノリティな考えにならないように無難なものを選ぶ。

いつからこんな風なのか分からない。
考え方の癖が先か「人はなぜ生きるのか」を考え出したのが先か。
どっちでも結論は、「全てに意味なし」と思えること。

何をしても、何を思っても意味なんか無い。
無意味、どうせ死ぬのだから。
ワクワク、ドキドキ、ハラハラ、心が躍る。
無い、何も無い。

と、書きながらこれをnoteに載せると言うことは
承認欲求があると言うことだよね。笑

私ちゃんと人として生きてるじゃん。

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