たった一言、力強い後押し
2月下旬。NYから帰国してすぐさま、東京Fashion Weekのオーディションに入りました。
有難いことに、帰国を待ってオーディションをしてくれるブランドや、事前に決定を入れてくれるブランドもあり、今シーズンはここ数年でも、稀にみる忙しさだったように感じます。
今回は、先日YouTubeに上げた動画では語りきれなかった、Fashion Week中に私自身が強く抱いた気持ちのお話です。
◆前を行く先輩たち
今季最も印象的だったことは何よりも、先輩方のショー出演。1年前に東京のFashion Weekに出たときにも、何ブランドかはキャリアのあるモデルを起用していましたが、今回はその数が圧倒的に増えたように感じられました。
昨年New York Fashion Weekに4年ぶりに出た際、グレーヘアのモデルやプラスサイズモデルを多く見かけたとともに、性別関係なくモデルをキャスティングする場面に遭遇し、そういった流れに刺激を受けながら、自身のこの先歩むであろう未来に少し希望が見えたような気がしていました。
けれど、この流れが日本にやってくるのはあとどのくらい先になるんだろう…そう思っていたタイミングでの、3月のFashion Week。私が気づいていなかっただけで、既に日本にも大きな流れがやってきていたのだと思い知ることになります。それは、嬉しい誤算でした。
新人のときの私は、先輩のモデルとしての凄さや、ご一緒できる有り難さがわからないまま過ごしていたように思います。あんなふうに仕事ができるようになりたい!と思いつつも、それはどこか人にはフォーカスしておらず、やっている仕事に憧れを抱いていたのかもしれません。
当時の私には、この人!という憧れのモデルがいませんでした。活躍しているモデル、その全員が自分からは遠い存在で、画面越しに見ることではその凄さがわからず、また一緒の現場になれば自分のことで精一杯、周りの先輩を見る余裕なんて全くといっていいほどありませんでした。
しかしキャリアを重ねて出た今回、先輩方のいる現場がどんなに有難いか、身に沁みてわかる瞬間があったのです。そしてそれは、2年前に出たショーでも一度経験した時間でした。
◆心奪われる体験
2年前。そのときの演出は、いつもの1往復歩いて帰ってくるショーとは異なるものでした。1人ずつ前に歩いていくのに変わりはありませんが、歩き終わっても袖には帰らず、ステージ奥でポージング、出演モデル全員が歩き終わるのを待つというものでした。
モデルは全部で8人。私を除いた7人は、キャリアも圧倒的に長い大先輩しかおらず、バックステージでは久々に緊張で体が熱くなったのを覚えています。
出順は2番目。1人目の方は板付きの状態で始まり、私はキューが出次第、袖から出ます。そして自分の歩きが終わると、ステージ上でポージング、あとから出てくる先輩たちの様子を見ていました。
リハーサルも見ていましたが、あれは忘れもしない本番での光景。前まで歩き終わった先輩たちが、振り返ってこちらに帰ってくる、その迫力。
「怖い」
一瞬そう思ったくらい、その鬼気迫ってくる空気感は今でも脳裏に焼きついています。あれはただ歩いただけでは出ない…表現力の凄まじさをひしひしと感じるとともに、自分の心がぐっと掴まれた瞬間でした。
有名なショーを歩くこと、人気の広告や雑誌に出ること、どれも素晴らしいです。時にはそんな周りの人たちを見て、物凄く羨ましい気持ちになって、悔しくなって、自分に自信をなくしてしまうこともあります。けれど、モデルを見ていていつも素敵だな、いいなと思うのは、そういったネームバリュー関係なく、表現力のあるモデルを見たときでした。
もちろん先輩方は、私が知らないだけで過去に様々な有名ブランドとの実績があるのかもしれません。でも、そんな経歴を知らなくとも、そこにある圧倒的な表現力でモデルとしての凄さがわかってしまう。服が一段と素敵に見えることはもちろん、その場の空気をガラリと変え、一瞬にして周りを虜にしてしまいます。
体型がいい、顔がいい、はじめはそれだけでモデルの仕事をすることもできます。でも、この仕事を長く続けている人たちには、それに加えて積み重ねてきた経験による重みがある。また、ひと口に「経験」と言っても、単純にこなしてきたとは思えない何かを感じます。
そんな段違いの表現力の前で、私はまっさらな新人に戻ったかのようでした。と同時に、目指すものがここにある、そう感じました。
近頃では私も先輩になり(悲しいかな、あっという間に時間が経ってしまいました!笑)、現場では当たり前のように最年長のときもあります。そんな中での先輩たちとの共演は、私自身をまた見直すことのできる、心底有難い時間でした。
◆不安をプラスに変えた言葉
時を戻して、今回の東京Fashion Week。
再び先輩たちと共演し、映像を振り返って思ったのは、もっと自分の色を出していいな、ということでした。
ショーの現場では、ほとんどの場合がリハーサルの段階で「こういうイメージで歩いてほしい」というふうに指示があります。
今回の場合で言うと、「力強さを表したいから右手は握りこぶしを作ってほしい」や、「笑わなくていいからポジティブな気持ちを持って歩いてほしい」など。デザイナーの表現したいイメージに合わせて歩き方を作っていきます。
そんな中、迎えたあるショーの本番直前。デザイナー本人から舞台袖で言われた言葉がありました。
「いつものAMIさんで。服に負けないで。」
この日はまだ何も(イメージを)言われていなかったため、自分でもどう歩こうかと思っていたところに声を掛けてもらいました。
実は私、元々この言葉が苦手でした。撮影でもよく言われる「いつもの私」。本当にいつもの私で大丈夫なのかな?いつもの私はモデルをしてるときの私と随分違うから、がっかりさせちゃうんじゃないか…ずっとそう思っていて、言われる度にぎこちなくなってしまうのが常でした。
しかし今回は、そんな違和感を覚えることもなく、放たれた言葉は私の中にすとんと落ちてきたのです。それはきっと、デザイナーからの信頼を受け取ったから。「あなたはそのままで美しいんだから」と私自身を力強く肯定されたような気持ちでした。
このたった一言が、私の本番を変えます。
実はリハーサルのときは、裾に引っかかって躓きそうになったり、いつものショーとは違う形式の見せ方にソワソワしている自分がいました。けれど、そんな小さな不安や動揺が一瞬にしてひっくり返ったのです。
ヒールが引っかかっても、立ち位置を間違えても、そんなものは自分の積み重ねてきたものでどうにでも上手く見せられる。それよりも大切なのは、見ている人が思わず引き込まれるくらいの迫力や表現力をもって、とにかく私が纏っていることで服が美しく見えること。足元や他のことに気を取られていたら、1番大切なことを見失ってしまう。
だから、他のモデルがサクサク歩くのと比べて、動きが遅くなるものや、何度も裾を踏みそうになるものは、不安要素として捉えるのではなく、表現するためのプラス要素として考えました。
スピードが遅くなるなら、その分余裕のある雰囲気でわざと間を持たせて歩いたらいい。裾は軽やかに美しく持って捌けば、それもまた演出のように見える。私自身に任せてもらったことで、自分が着るならこう歩く、こう振り向く…そんな私なりの動き方をすることができました。服に着られないで自分のものにする、それがデザイナーが私に求めたことだったのではないかと、今になって思います。
ただ、あとで映像で振り返ると、自分もいいけど、やっぱり先輩が格好いい。2年前も思いましたが、「もっとやっていいんだ…!」そんなふうに感じました。もちろんショー全体の流れに乗ることは大切ですが、次のモデルが来たからといってさっさと戻る必要はないし、自分が思っている以上にもっと間を持たせても素敵だった…新人の時には自分と何が違うのか見つけることすらできなかった先輩との差が、ようやく自分の目で確認できた瞬間でした。
確認したからには、私もそこを目指さなければいけない。まだまだやれることがあるって嬉しい…!そんな満たされた気持ちにまでなりました。
何年もモデルをやっていると、ある程度で行きつくところまで行ったような気持ちになることがあります(完全燃焼みたいな気持ちを過去に1度だけ経験しました)。でも、またしばらくすると次のステージに行くための試練が現れて…この繰り返しをずっと続けていくのかなと思います。
それは果てしなくて、時にはもうダメだと思うこともありますが、今回先輩方の圧倒的な背中を見せてもらったことで、再び、積み重ねていくことの素晴らしさとやる気をもらった気がします。
冒頭に書いた、昔はわからなかったご一緒できる有り難さが、今ならわかる。モデルを続けていく上での大変さを痛感している今だからこそ、気づけたことかもしれません。
モデル業はいつになってもクリアできないゲームのような、でも決して遊びでは到達できない地点がある、そんな魅力のある仕事に思います。
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