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終わりは自分で決める

コロナが流行ったことで、今回数年ぶりに訪れることとなったNY。「実年齢なんて関係ない」そう思ってはいるものの、自分のこととなるとどこかで揺らいでしまう瞬間もあり、アメリカ出発前は、年齢を重ねた私に向こうで需要があるのかと、不安ばかりが募っていました。

モデルの寿命は短い。始めたときによく言われた言葉です。そもそもモデルになるのも大変で、さらにはこの仕事で食べていくのも大変なのに、寿命も短いときた。それでも、選んだからにはやるしかない。
そんなふうにやってきたモデル業ですが、とうとう私にも終わりを考えるときが来たのかな…そんなことを考えた1年間のお話です。


◆バランスを崩した数年

今回渡米したのは、当初は自身のリフレッシュという名の休暇目的でした。2020年のパンデミックによって予定していたNY行きを断念、国内のみの活動に切り替わる中で、自分でも知らないうちにフラストレーションが溜まっていました。

それに気がついたのは、2022年夏。仕事を筆頭に色々なことが立ち行かなくなり、どうしようもなく苦しい時期でした。モデルをスタートしてから初めて、モデル以外の仕事を考えた瞬間です。

仕事がないのはコロナのせいか、それとも自分のせいか、はたまた年齢か。簡単には答えの出ない問いを、永遠に頭の中で考え続け、疲れ切っていました。そんな中、アメリカのVISAの期限が切れ、更新手続きをやると言ってくれていたNYの事務所が実際は何一つやっていなかった…そうわかったとき、私の中の何かがぷつっと切れて決壊しました。

正直、自分ではどうしたらいいかわからなかった。そこで、もう仕事とかどうでもいい、ひとまず海外に出よう、と思ったのです。パンデミック前の私は、少なくとも1年の半分は海外に出ていました。無自覚ではありましたが、実はそれが、自分の中のバランスを保つ秘訣だったのです。

そもそも日本国内だけで活動していたとき、私にかかるストレスは相当なものでした。特に、まだ今よりも撮影に呼んでもらう機会が少なく、主にショーモデルとして活動していたときが苦しかった。オーディションに行けばみんな顔見知り、誰が受かったのかは嫌でもSNSで知ることになり、毎回同じ人に持っていかれることで劣等感も生まれる…そんな負の気持ちが払拭されたのは、NYに行くようになってからでした。

NYで受けるオーディションでは、誰も私のことを知らない。私も彼ら彼女らのことを知らない。友達になったモデルとも全てが被ることはないし、時々被っても「Good Luck!」と言い合える。そんなラフな関係性が築けるアメリカの環境がとても心地よく、自分のことにより集中できました。
また、過酷なファッションウィークを経験することで、こんなにも大変なことを頑張っているモデルたちに「仲間」として応援したい気持ちまで生まれました。

そんな環境から戻ってくると、不思議と日本でのストレスも少なくなりました。時々自分に外の風を入れてあげること、そのことが私には必要不可欠なことだったのです。

それがパンデミックで急に出来なくなり、始めのうちは「またすぐに行けるだろう」そう思えていたから大丈夫だった。けれど1年経ち、2年経ち…行けないことでのストレスが自分でも気づかないほど蓄積していました。

こうして2022年、その年特に仕事がなかった5・6月の2ヶ月間(仕事数0本でした)、来年のその頃は遊びに出かけよう。そう決心します。

そのことを日本の事務所に相談すると、どうせ行くならVISAのことをもう一度NYの事務所に話してみようとなりました。あちらの事務所が更新手続きをしなかった理由は、私がこの先本当に来るかわからなかったから。パンデミック中にVISAを取得したのにも関わらずNYに来れなかったモデルが何人もいたことが、更新手続きを簡単に進められない事情とのことでした。AMIが日程を確定して必ず来るなら、すぐにでも手続きをするよという返事をもらっていたのです。

年末、ついにVISAの新規獲得に向けて動き始めます。そしてそこから半年ほど経った5月下旬、私の手元に再びアメリカVISAがやってきます。休暇で行くはずだったNY行きは、あれよあれよと言う間に仕事モードになり、6月中旬から出発することが決定しました。

◆30代でのファッションウィーク

「不安でお腹が痛い、、」渡米直前、日本の事務所に最後に残した言葉がそれでした。
けれど、そんな緊張はどこへやら。JFK(NYの空港)に降り立った瞬間、私の身体にワッと新鮮な空気が駆け抜けていきました。このときすでに、鬱々とした気持ちは期待へと変わり始めていたのかもしれません。

着いて最初に入ってきた撮影の仕事は、私の不安をいくらかほぐしてくれました。パンデミックよりももっと前の、5年前に仕事をしたアートディレクターが、再び同じ仕事に呼んでくれたのです(彼女との詳しい話はこちらの記事「選んだ道を正解にする」に書いています)。

彼女が変わらずに接してくれたこと、その後私が帰国するまで何度も呼んでくれたことで、とにかく今は目の前の仕事に応えていこうと、くよくよ悩むことをめました。当時の私が頑張ってくれたように、今回の私がまた頑張れば、きっと先に繋がっていく。そこに5年分の年齢は関係ありませんでした。

撮影の仕事はありそう。となれば、お次はファッションウィーク。

実はNYで受けるのは4年ぶり。久しぶりに過ごす慌ただしい日々に、以前もこんな感じだったなと当時の記憶が蘇ってきます。あんなに大変だったのにまたやってるのか私は、と思い出したら苦笑せずにはいられませんでした。

どうなるんだろう?そう思いながら受け始めたCastingも、いつの間にかブランクを忘れるくらい、スッとその場に溶け込んでいく自分がいました。
でもやっぱり、途中で体力の無さに気がついたり、横を見たらすごく若そうなモデルがいて「ああそうだった」と以前との違いを思ったりもしました。けれどそれだけではなくて、年齢を重ねたモデルが歩いているのを見て格好良さに心が動いたり、以前よりもフィッティングする確率が高くなったことに驚いたりと、嬉しい違いも多くありました。

そして最終的には、当初抱えていた「やれないんじゃないか」という気掛かりは、「やればできる。あとはどこまで自分が諦めないか」結局は自分次第なんだという意識に変わりました。

私が年齢を重ねて有利だなと思ったのは、Castingで堂々としていられること。ただその一点だったのかもしれません。今までのnoteで書いてきたように、時には厳しい現実を突きつけられたり、心ない言葉や態度に傷ついたりもしました。でもそれらの経験があったからこそ、今、ほとんどの出来事を笑って乗り越えられる自分がいます。

◆私だけが私を諦めていた

ファッションウィークは若いモデルがやるもの。当然のことのように思われていたその考えが、時代とともに変化するのを肌で感じられたことは、素晴らしい経験でした。それはCastingの列に表れていたし、私が4年ぶりにショーを歩いたことによっても証明されています。世界がそういう流れになっています。そして自分よりも年齢を重ねたモデルたちが頑張っている、尚且なおかつその格好いい姿をこの目で見れたことは、私にとって自分の方向性を左右するほどの大きな収穫でした。

また、NYの事務所のボスにしても、今回撮影で関わったphotographerにしても、キャリアを積んだモデルを尊重してくれている様子が伺えて、とても嬉しくなったのを覚えています。
さらには、もっとこうしてみたらとか、パリには行かないのとか、私よりも私に期待してくれているのを感じて、ハッとさせられました。自分の中では「もう今回が最後のNY(海外)かな…」なんて考えていたのに、周りから「何終わろうとしてるの?!まだまだ頑張れ!」とでも言われているかのようでした。

そんな中にいると、私も「あれ!そうだよね、頑張んなきゃ!」と動けてしまう。まあ疲れ具合は大きくて、回復に要する時間も前よりずっと長くはなりましたが。流れが早い中にいると、「やらなきゃ!動かなきゃ!」という気持ちになる。だからNYの街では自分もトップスピードで動けるし、逆にそういうやる気がないなら返り討ちに遭ってしまう場所だなと思います。

きっと終わりはくる。だけど、やれるところまでやってみたい。たとえ周りにいつまでやってるんだと思われても、先を考えた方がいいと言われても、自分の終わりは自分で決めたい。もうできないって諦めて終わるんじゃなくて、やり切った!辞めます!と思い切りよく言えるところまで頑張りたいです。モデルの寿命、長くなったねって言わせたいなぁ!

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