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どんなに落ちても、決してチャンスは無くならない

モデルになる以前、そしてモデルになってからもしばらくは、生活のために様々なアルバイトを経験しました。

中でも、学生時代に3年間アパレルブランドで働いていたことは特に記憶に残っています。日々こなす業務や時々起こるハプニングに、泣いたり笑ったり、厳しくも明るいチームに囲まれた、最高の職場でした。

程なくして私はモデルを目指すようになり、職場を辞め、今の事務所に所属しました。

新人として様々なブランドのオーディションを受ける中で、いつしか自分にとって”絶対に叶えたい”と思う大きな目標ができました。それは、自分が働いていたブランドと仕事をすること。大好きだった職場と、今度はモデルという別の形で関わりたい、そんな想いをずっと心の奥に抱えていました。

◆周囲に置いていかれる

新人と呼ばれる頃から、目標達成のチャンスは幾度となく巡ってきました。広告はもちろん、そのブランドのショーのオーディションに呼んでもらったこともあります。けれど、受かったためしがない。

それどころか、会場内にいるモデルのほとんどがフィッティングをしている中、私はそれすらもない。。周りがフィッティングをしている最中に自分だけ帰っていくときの気持ちなんて…当時は本当に辛かったです。

その間にも、周囲のモデルたちはどんどんと受かり、ブランドの顔になっていく。一時期は、お店に足を踏み入れるのも億劫になるほど、店内の広告は知り合いのモデルで埋め尽くされていました。”これはこの前私も受けたオーディションだな…”と、鬱々とした気持ちで見つめることも少なくはありませんでした。

チャンスがあるのにものにできない。”きっと根本からイメージに合わないんだ…”そんなことすら思い始めていたとき、その機会は突然やってきました。

忘れもしない3月、真冬のNY。2月の怒涛のファッションウィークを終え帰国を控えていた私に、日本のマネージャーから連絡が入りました。どうやら帰国後早々に仕事が入りそうだと。

そしてその仕事こそが、3年間勤めたことのある、モデルになってから長年目標としていたブランドの広告だったのです。

オーディションもなく突然の決定連絡。嬉しさとともに、今までの結果を考えると「なぜ自分が呼ばれたのか」と戸惑う気持ちもありました。その疑問を率直にマネージャーに伝えると、実は私を推薦してくれた方がいたとのことでした。その方とは、NYでもお世話になっているスタイリストさんでした。

ずっと憧れていたお仕事が、こんなにも突然叶うだなんて。。モデルになってから実に7年が経っていました。

◆未来はどう転ぶかわからない

撮影当日。現場でご本人にお会いすることができ、その場で感謝の意を伝えると、「このコレクションは格好良いイメージで撮りたいと思ったから、だとしたらAMIちゃんが似合いそうだなと思って」と、今回の推薦理由を教えてくださいました。

もちろん、NYでの経験を経てモデルとしてのキャリアを積んだという点は、キャスティング理由の一つだったと思います。しかし名前を挙げてもらえないことには、そのキャリアも見てもらえない。推薦していただけたことが、この仕事をする上でとても重要なポイントだったのです。

「こういうイメージのモデルを探している」となったときに「この子はどうですか?」と即座に名前が挙がるモデルになると、仕事は格段に増えます。もしかしたら他にも候補者はいるかもしれないけれど、数人の中の一人としてでも、とにかく候補として名前を挙げてもらうことで獲得率はぐんと上がるのです。

それはたとえ、同じオーディションに落ち続けていても!どこにチャンスがあるかわからない。全く予想していないタイミングで、全く違う方向から引っ張り上げてもらえることがあります。今回のお仕事はまさにそれでした。

他にも、意外な形でチャンスが回って来ることはある。
それは、ブランド側がガラリとイメージを変えたいときです。そういうとき、今まで縁遠く、自分はイメージに当てはまることはないのかもしれない…と感じていたモデルたちにとって、大きなチャンスとなります。

今回に関して言えば、私も縁遠いモデルでした。ブランドのコアなイメージは変えないものの、そのコレクションだけは格好いいイメージでいきたいとなったときに初めて、スポットライトが当たったというわけです。

◆諦めていたジャンルにも、いけるタイミングがくる

モデル業は基本的に、「綺麗・可愛い」のカテゴリーにいるモデルに仕事が多く振られます。日本ではどちらかというと「個性的」の枠に入っていた私は、仕事の幅が狭い方でした。

しかし、「個性的」なモデルは競争相手も少ないため、仕事がきたときの決定率は高くなります。反対に、「綺麗・可愛い」モデルのオーディション数は明らかに多いけれど、競争相手が多いため1本1本の倍率は高い。どちらがいいというわけではなく、どちらにもメリット・デメリットがあります。

今回は、「個性的」なモデルに振られた結果なのだと思いました。こちらのジャンルにももちろん競争相手はいますが、その中でもスタッフの方が知っているモデルとなると大分絞られます。

また、最初は狭くとも、そこでの獲得率を上げていくと徐々に仕事の幅が広がっていきます。「あれができるなら、これもできるんじゃないか?」と、周りの方々に幅を広げてもらえることも少なくありません。

最初は作り込むことが多く、強さを求められていた私の仕事も、次第にほとんどメイクをしないような、ナチュラルで柔らかい印象の撮影が増えていきました。

◆おまけ。応援してもらえる幸せ

7年目にして受かったとき、念願の仕事ができた!という達成感に加えて、非常に嬉しい出来事が私を出迎えてくれました。

それは、3年間働いていたときの同僚や先輩、上司が喜んでくれたこと。私がSNSで写真を公開したときの、皆の反応がなんとも嬉しくて…!

長らくお世話になっていたため、私はご一緒した方々のことを覚えていたのですが、まさかあちらも私のことを覚えててくださり、一緒に喜んでいただけるなんて…!思わず涙が溢れました。そして「待っていた」というコメントに、以前から期待をかけてくださっていたことがわかり、改めて応援してもらえる幸せを感じました。

実は、勤めていたときは舞台女優を目指していた頃で、ダンスに励んだり、コンテストに出てみたり、舞台女優になるためにモデルになってみようかと片足だけモデル業に突っ込んでいたような時期でした。今考えると、とにかく目標に向かってがむしゃらに走っていたとき。
そんな自分を知っている方々に、モデルになって目標を達成した姿を見てもらえたこと、そして一緒に喜んでもらえたことは、新たなる目標への大きな原動力となりました。

ちなみに、その後また一度だけ受かりましたが、特に受かり続けるということもなく、いまだに挑戦し続けています。またみんなで喜びを共有できる日が来ますように!

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また下記の記事では、実際に私が経験した他のアルバイトについても書いています。良ければ併せて読んでみてください。

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