マガジンのカバー画像

モデル業をポジティブに

34
今までモデル業をしてきて悩み、思考錯誤してきたことをシェアします。同じモデルをしている人には聞けない…自分自身、そんな悩みをたくさん抱えてきました。だからこそそういう経験をシェア…
運営しているクリエイター

#amisuzuki

考えない時間を追い風に

モデル業を始めてからこれまで、幾度となく大きな変化があったなと感じています。それは決していいものだけではなく、時にはどうしたらいいかわからなくて逃げ出したくなることもありました。そんなものにどう対処していたのか、今回は体型やメンタル面を中心に振り返ります。 ◆365日キープする仕事モデルは常に体型や肌のコンディションをベストな状態で維持しなければいけません。なぜなら、オーディションや仕事は何の前触れもなく、突然入ってくるからです。 何ヶ月後に〇〇のオーディションがあるから

たった一言、力強い後押し

2月下旬。NYから帰国してすぐさま、東京Fashion Weekのオーディションに入りました。 有難いことに、帰国を待ってオーディションをしてくれるブランドや、事前に決定を入れてくれるブランドもあり、今シーズンはここ数年でも、稀にみる忙しさだったように感じます。 今回は、先日YouTubeに上げた動画では語りきれなかった、Fashion Week中に私自身が強く抱いた気持ちのお話です。 ◆前を行く先輩たち今季最も印象的だったことは何よりも、先輩方のショー出演。1年前に東

終わりは自分で決める

コロナが流行ったことで、今回数年ぶりに訪れることとなったNY。「実年齢なんて関係ない」そう思ってはいるものの、自分のこととなるとどこかで揺らいでしまう瞬間もあり、アメリカ出発前は、年齢を重ねた私に向こうで需要があるのかと、不安ばかりが募っていました。 モデルの寿命は短い。始めたときによく言われた言葉です。そもそもモデルになるのも大変で、さらにはこの仕事で食べていくのも大変なのに、寿命も短いときた。それでも、選んだからにはやるしかない。 そんなふうにやってきたモデル業ですが、

焦っても諦めない

先日出たショーでのこと。ここ数年で何度か出たことのあるブランドのもので、重低音の効いたテンポのいい曲に合わせて歩くことも多い、緊張感はあれど楽しい現場です。 今回はどんな曲で歩くのだろう?と楽しみにしていたのですが、リハーサルが始まった瞬間、自分の心が動揺するのを感じました。いつも決まって、終盤のイブニングシーンのみゆったりとした壮大な曲に切り替わるのですが、なんと今回は、初めから終わりまで全てスローな曲調とのこと。ウォーキングの実力が試されているかのようなスピード感に、一

モデルになって捨てたもの

求められる場所で頑張りなさい。この言葉の意味を、モデルになってから身を以て実感しました。 そもそもモデルを目指そうと思った当初は、パリコレに出たい!ただその一心で頑張っていたように思います。けれど私のモデル人生では、意識すればするほど「パリコレ」の文字は通り過ぎて行きました。 ◆1度目のチャンスはNYで私が初めてその舞台に近づいたのは、NYコレクションの最中。NYの街中を1日10本ものキャスティングを抱えて歩き回る中、事務所から突然「今からここに行ってほしい」という連絡を

モデルになるまで、8年。

「…それで方向転換してモデルになろうと思ったんですよ。」 そう話したときに言われた言葉がある。 「それでモデルになれちゃうから凄い。」 確かに。言われてみればそうかもしれません。 そもそもモデル業がどういうものか、当時目指し始めたときには全くもってわかっていなかったのですが、知らないからこそ夢中になって頑張れたのかも。いい意味で、期待がありませんでした。ただ一度やった仕事が楽しかったからまたやってみたい、そんな気持ちの延長線上で始まったモデル人生。 しかし振り返ってみれ

わからなくても、今はそれでいい

「私はこれとか好きだな!」 「うーん、、私はこっちも好きです」 先日の事務所でのやり取り。オーディションに送るスナップ写真を撮ったときに行われた、マネージャーとの会話です。 私とマネージャーでは、大抵選ぶ写真が違います。自分の顔の写りを気にしてしまう私に対して、マネージャーは「鈴木亜美」という素材がいかによく見えるか、バランスの良さが伝わるか等、別の視点から見てくれています。 今回は、そんな意見の違いから生まれる相乗効果から、仕事が立ち行かなくなったときに私を支えてくれ

自分の人生も、きっと誰かの背中を押している

私の人生は、いつも誰かの言葉に励まされながら進んでいます。それは身近にいる人だったり、全く面識のない人だったり。今回は、そんなターニングポイントで私の背中を押してくれた人達のお話です。 ◆19歳でダンスを始める高校生最後の年、私は大学受験のために各大学の学校説明会に足を運んでいました。 高校に入って宝塚歌劇団を知り、さらに宝塚部というミュージカルやダンスを披露する部活で自身も演じる側を経験した私は、昔から持っていたミュージカル熱が再燃し、いつしか舞台に関わりたい気持ちが強

失敗を失敗にしない。必ず成功に導くモデルたち

以前、撮影での苦い経験談はお話ししたことがありますが(まだ読まれていない方はぜひこちらから→note「現場が凍りつきました、、、attitudeって何?」)、ショーモデルとしても多々あります。 今月3月はちょうど日本で「東京コレクション」と呼ばれるファッションウィークが開催される時期。ということで、今回はそんなランウェイの裏側で起こった数々のハプニングについてお話ししたいと思います。 ◆気合いで乗り切ったラストルック今やSNSでもよく見かけるようになった、モデルがショーで転

とても小さくて、物凄く大きな一歩

私がモデルとして初めて海外に挑戦したのは、シンガポール…ではなくて、実はパリだったのかもしれません。 かもしれないと書いたのは、まだモデルとしてきちんと活動できていなかった学生のときに、度胸試しとして行ったものだからです。たった8日間。けれどあのときに起こした行動が、モデルとしての小さな一歩であるとともに、大きな意味を持ったものだったのではないかと思います。当時の情景は、今でも私の脳裏に焼きついています。 ◆何一つ準備せず飛び込んだモデルをやるならパリコレ。始めた当初に私

NOと言う勇気を持つ

AMIは写真が撮れない モデル事務所のオーディションに受かり、所属時の面談で言われた言葉は今でも覚えています。 悔しい…そう思うや否や、負けず嫌いな私のやる気に火がつきました。そこから、怒涛の写真作りが始まります。 今回は、そんな新人時代から取り組んでいるテストシュートについて、撮られる技術向上のためにやっていたこと、取り組む中で感じた不安や恐怖、今まさに感じていることについてお話しします。 ◆真似したものに価値はある?テストシュートをするにあたってまず最初にしたのは

モデルが実践する、声なきコミュニケーション

一見すると個人が目立ちがちなモデルの仕事ですが、実はチームワーク必須の職業。撮影クルーと協力するのはもちろん、複数人で撮影するときには同業種であるモデルとも。 しかし、撮影中にモデルが声を発することはほとんどありません。大抵は無言でポージングをします(稀に叫びながらの撮影もありますが笑。気になる方はnote「誰よりも前に出ることの大切さ」をご覧ください)。 その中で、一緒にいるモデルとどのようにコミュニケーションを図るのか…それを学んだのはまだモデルを始める以前、私が大学生

自分じゃない自分になりたかった

モデルにとって嬉しい写真とは、やはり自分の顔がしっかり出て格好良く写っているものだと思っていました。顔が出てなくて誰かわからない写真なんて、撮っても何の得にもならない…全然嬉しくない…。 そんな気持ちは、あることをきっかけに変化していきました。その変化によって、現場での妙な緊張感がなくなり、仕事の幅が広がっていった…今回はそんなお話です。 ◆顔の写りを気にして、一喜一憂する日々新人の頃は、BOOKに自分の体型や顔立ちがはっきりわかる写真を入れたい・入れなければならないので

自分を止めているのは自分

やりたいことがあるなら、ときには周りに反対されても、一度は自分の意思に従ってやってみる。そのことで得られるものが必ずあると思っています。 「モデルとしてどこか海外でやってみたい」始めた頃に漠然と抱いていた想いは、幸せなことにNYの地で叶うこととなりました。 しかし、叶ったと同時に待っていたのは、選択の日々。毎日が決断の連続でした。果たしてこの決断は合っているのか、悩みすぎて辛くなることもありました。今回はその中でも、日本とNYを行き来していたことで起きた、特に印象に残ってい