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映画『aftersun』を観て
“エモい”という言葉が苦手だ。
エモい、というほど
わたしの人生に重みを成していないと感じ取ってしまうからだ。
わたしは、
だいたい窓の向こうを見る時にそのような感情が発せされる。
通勤時、家で過ごす時、散歩中
窓の向こう側で起きている“あったはずの何か”に対して
何故かもわからず胸が痛くなる。
何も関係のないはずなのに。
何も関係がないわけなんて誰にもわからないから、
ずっと近しくあってしまう。
そこで必ず最後に思うのだ。
「わたしは今まで出会った人間や物事に、振り返って目を合わすことができるだろうか?」
「彼らは笑ってくれるのだろうか?」
「誇りに思ってくれる?覚えてくれている?」、と
そして、
このようにして愛情のすれ違いが起こることまでわかっているはずなのに。
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