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「生まれ変わり」をTVで特集していた件。輪廻研究の一端を見る。

昨日私は『魂と輪廻を語るために(哲学史的素描)』と題して、「哲学カラオケ」のような記事をポストしました。
魂だと輪廻だのを哲学的に語ろうとしたとき、どこまで概念化しながら理論を積み上げていけるのか、を検討したかったのです。
強硬に、魂だと輪廻だのの実在を主張したわけではありません。

しかしながら、オカルトやスピリチュアルなことの機微に触れるとアレルギーを示す人がいるのは確かで、個人的にはそういった人たちについては、根深い「近代病」ではないかと密やかに思ってます。
魂だと輪廻だのを真剣に語る時代は、「近代」という狂躁の時代が終わったあとに、訪れないともかぎりません。
何が時代の真理と見做されるかは、誰にも予測できないのです。

ともあれ、あの記事はとある勉強会のために書き下ろしたものですが、その勉強会を終えて帰宅し、用事を済ませて深夜にTVをつけると、
どうやら『クレイジー・ジャーニー』という番組で、「生まれ変わり」を取り上げてているらしいことを知りました。
なんというタイミング‼️
さっそくTverで視聴することにしました。

日本に生まれたある8歳の男児が、自分はどうやら911の犠牲者の転生であると主張しています。
その兆候は3歳くらいから生じ、母親も訳が分からなくて苦しんでいる様子。
おそらくアカデミアの中で日本で唯一の「生まれ変わり研究者」である中部大学・ヴァージニア大学の大門正幸教授が、その男児と一緒にNYへ旅して生まれ変わりの実証を試みるという内容です。

大門教授やヴァージニア大学の研究については、私が書いた記事にも触れていますが、竹倉史人さんか書いた包括的な書物にして名著『輪廻転生』で詳しく述べられています。

アカデミアの世界でこのような現象を「真面目に」取り上げて研究しているのは大変珍しいですね。
分からないことだからこそ取り組むのが学問とすれば、実にまっとうな研究分野だと思います。

番組の具体的な内容については、是非各自でご覧になっていただきたい。
私個人は、深く心を揺さぶられました。
とくに、男児が前世の自分を「納めたい」を言っていたのには、不思議な感銘を覚えました。
彼は、前世の自分がまだうまく納まらずに、今世の自分にフィットしていないと感じているかのようです。
そのような感覚は、当事者でしかわからないものなのでしょう。

私個人のお話をここでしますと、私も腑に落ちない「記憶」のようなものを感じることがあります。
ずいぶん若い時から、同じ雰囲気の街にいる夢を見るのです。
砂埃が舞う土壁の家が並ぶ街です。人がたくさん歩いているのですが、その服装はよく覚えておりません。
しかしながら、いつも目覚めると、「あの懐かしい街が夢に出てきた」という印象だけがのこるのです。

アフリカ旅行をしたときのこと。
ザンジバルというタンザニアの大きな島にいったことがあります。
狭い路地と土壁の街で、中心にはモスクがあるイスラムの街でした。
あるいは、エチオピアのハラルという街。そこも同じような雰囲気を感じるイスラムの街です。
私はどちらの街にいた時も、言い難い「懐かしさ」のようなものを感じたのを覚えています。
あの夢はもしかしたら、似た雰囲気をもつイスラムの街なのではないか。
そしてそこは前世で私が住んでいた街ではないだろうか。
そんな思いに囚われることがあるのです。

いずれにしても、『クレイジー・ジャーニー』で取り上げられたような、「偶然の一致」と片付けてもどこか腑に落ちない不思議な事例は、世界で数多く収集されているようです。

これが直ちに「輪廻転生」を肯定することになるのかといえば、懐疑論者はまだまだ納得しないレベルに違いありません。

私が先の記事に書いたように、「輪廻転生」を肯定するためには、「魂の実在」とその「個別性」が論理的に肯定できなければなりません。
その上、「魂」が存在するとしても、「魂」そのものを存立させる何らかの「契機」が観念されなければならない。「神」あるいは「宇宙」というべきものが頭をもたげてきます。

私は「輪廻転生」を考えることは、無宗教に陥った現代人を、いわば「神学的あるいは宇宙論的な視座」へ誘い、「今生の生に対する厳粛さ」を取り戻すきっかけになるのではないかと思っています。

もちろん、そんなの関係ねえ、で済ます人もたくさんいるでしょう。

しかしながら、確かに言えることはあります。
全ての人は、どうせ死にます。
そして自分の死を目前にした時、どうせ、死と今生の生に厳粛にならざるを得ない時が来るのです。
死の目前と言わないまでも、ハイデガーが言う「空談」を超えた感覚を死に対して持たざるを得ない時が、多くの人には確実にやって来ます。

そのタイミングは個人差と言う他ないですが、その時が来たと思ったら、いつから魂や輪廻を考えはじめても早すぎることはないだろう、と思っています。

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