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これが夢か現実か。クリストファー・ノーラン「インセプション」に寄せて、現実の曖昧さについて。

クリストファー・ノーランの「インセプション」を久々に見た。クリストファー・ノーランの映画は好きで、「ダークナイト」「メメント」「インターステラー」は、私の映画人生の中でも、衝撃的な出会いだったし、見る度に、新たな解釈が出てくる、スルメ映画だ。今回は、「インセプション」について語りたいと思う。ネタバレは普通にしてるので読む時は注意。

この「インセプション」は、彼の作品の中でも難解で、私は1度見ただけでは理解できなかった。今回見たけど、多分完全には理解出来てないと思う。ルールも全部把握出来てるかどうか。

まぁ、別にこの映画の肝はそこじゃない。勿論、ある程度理解しないと面白さを感じる事は難しいが、逆にある程度理解出来れば、世界観に没頭することができるだろう。1度見て難しいからと見るのを止めるのは非常に勿体ない。

「メメント」でも感じたことだが、クリストファー・ノーランは時間、空間の概念を映像化する天才だと思う。「インセプション」が凄いのは、勿論映像が凄いのもあるけど、何よりも凄いと思うのは、映画のルール、夢、潜在意識の概念だ。クリストファー・ノーランは、この映画の構想に20年かけたらしいけど、20年かけてこれを作れるのが凄い。概念を言葉に落とし込み、更にそれを映像化するイマジネーションの凄さ。天晴。ハラショー。アメージング。どんだけ言っても足りないわ。夢が2層、3層とある発想。夢の中で更に夢の中に入って、そこでドンパチやって、それが最下層の夢に影響を与えて、それ映像化するとか、気が狂いそうだわ。見て、享受するだけでいっぱいいっぱい。クリストファー・ノーラン、ありがとう。

でも、私はクリストファー・ノーランの凄さや、魅力の主軸、メインは、そういった映像的な凄さや、脚本的な緻密さではないと思う(これは、あくまで核ではないという話。大部分的な魅力には間違いない)クリストファー・ノーランの映画が何故に人をこんなに惹き付けて、魅了するのか。それは、根底に「愛」があるからなんだと思う。映像的な凄さの合間にある、ともすれば見逃しそうな愛。私は、夢の最下層の時のロバートと父親のやり取りにぐっと来たんですよね。あれはコブ達がインセプションする為に作り込んだ夢なんだけど、ロバートは、金庫から出てくる風車に、泣いて、父親に縋り付くんだよね。この映画はコブとモル、ロバートと父親の愛の話でもあると思う。しかし、くどくないんだよね。流れとして、映画を邪魔してない。だけど、物凄く胸に来た。クリストファー・ノーランは、本当に伝えたいのはここなんだな、大切にしてる部分ってここなんだなって思った。よく出来る男がさらっと語る愛なんだな、と。それはほんとにあっさりと、淡々と語られているのだった。私はクリストファー・ノーランのそうゆう所も好きなのだ。

私は、最初、ラストシーンを見た時に、トーテムがこのまま止まらないことを想像し「どんなホラーだよ、こええ」って思っていた。しかし、色んなレビューを読んでるうちに、どうやら止まるっぽい事が書かれていた。実際、コブの子供は最後は少し成長して描かれているらしく、現実だという見方の方が強いらしい。あそこで止まるかどうか微妙な所で切る辺りも、何とも監督らしいなと思う。「メメント」的なラストも作る監督だから、トーテムが止まらないラストも少し有り得るかと思ったのだ。そうなるとかなりのホラーなのだが。

どうして、それがホラーになるのか。それは、私も、自信がないからなんじゃないだろうか。今目の前に存在する現実とやらに。映画の中では、夢に入った人間は、言われるまで気付かない描写がされている。そういった「現実の曖昧さ」を圧倒的な映像をもってして、私に突き付けてくるのである。今生きてる現実が、本当に現実かどうか証明しろなんて言われた日にゃ、私は匙を投げるだろう。そう、クリストファー・ノーランは現実を疑っているのだ。そして、問い掛けているのだ。お前が生きてる現実は、「本当の現実」なのか、と。

映画としても素晴らしいんだけど、クリストファー・ノーランは確固たる哲学を持ってる。そして、愛の大切さも。その哲学を、映画として完成させる手腕の凄まじさたるや。私は指を咥えて次の作品を待つ事と致します。おそまつ。


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