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君津・イン・ポッシブル

※このnoteは、2024/5/5(日)に千葉の君津市民文化ホールにて開催された百年後芸術祭「dawn  song」に参加した私の、君津に行くまでの道中の様子を書いたものとなります。コンサートの様子は一切書いておりませんので、ご了承ください。


どこ??

君津とのファーストコンタクトは、そんな感じだった。
早速鬼の速さでGoogleマップで調べる。

千葉??東京からの行き方を鬼の速さで調べる。
おおよそ2通りの行き方があった。東京から君津市民文化ホールへ直接高速バスでアクアラインを通って行く方法とJRで蘇我から内房線を利用して君津まで行き、そこから市営バスで君津市民文化ホールまで行く行き方。どちらもおおよそ2時間弱の時間がかかるらしい。え、待・・・・遠・・・。東京までもそんな近い感じないけど、そこから更に、1時間半だと???

私は動揺した。君、津・・・?きみつと読むの?きみづ?どっちなの??東京行くだけで、動悸が起こる私が、行ける・・・か??私はこの「君津」にまず心を奪われ、暫し君津と私のマリアージュについて想いを馳せた。私、君と仲良くなれるかな。どうかな。まず、「行けるの??」から動けず、そこで立ち止まっていた。最近いつも一緒に行く人に相談すると「どこ???」概ね私と同じ反応である。体調のこともあり、遠いし、で今回は断念するとのこと。
まぁ、私アラバキ行ったし。という謎の自信を掘り起こし、当たる気もしなかったので、軽い気持ちで申し込むことに。

まさか当たると思ってなかったので、少し驚いて慌ててどうするか普段使わない頭をフル回転させた。ただでさえ読めない東京での交通事情にプラス足を踏み入れたことのない千葉という土地、プラス経験のないゴールデンウィーク期間中という点を考慮すると、夜行バスでの日帰り厳しいかもな。と思った。保険として今回は泊まることにした。諸々面倒だったので全て旅行会社に任せることに。

今回は、初めて君津という土地に足を踏み入れた1人の人間の備忘録としてこれを残したい。

流石に東京へは何度か行っているので、もうそこまで慌てることはない。9:39京都発のぞみに乗って、東京駅におおよそ12:00頃に到着。いつもだったら、京都駅のコンビニでお菓子を買い込むのだが、京都駅のセブンイレブンがものすごい長蛇の列で断念(今思えばここから既に君津・イン・ポッシブルは始まっていたのだ)慌てた私は、別のコンビニを探したがそこもまぁまぁの列!!私は断念し、近くにあったカフェでカフェラテアイスのテイクアウトを注文する。500円・・・・。ここで500円の出費は少し手痛いがしょうがない。結局、駅の構内でも買う時間なく、新幹線内では、アイスカフェラテしか持ち込めなかった・・・。早めに京都駅に着いたので近鉄駅構内のカフェで朝食を食べたのだが、そこでコーヒーも頼んだので、私の胃袋は激しくカフェインに襲われた。しかも食べ物もロクに食べてないもんだからカフェインはダイレクトに胃に響く。地味に腹がずっと痛かった。ゴールデンウィーク舐めてたぜ。


東京駅に着くと、まずその人の多さに驚く。ゴールデンウィークだからある程度覚悟はしていたものの、兎に角多い。頭で分かっていても、心が追いつかないのだ。東京駅は普段からある程度人は多いものの、やはりゴールデンウィーク期間中に移動する人間の荷物は1つ1つがばかみたいにでかい。ある程度1人1人が気を遣ってはいるもの、1人の人間が2人分のスペースを取っている。人数以上の狭さだ。これは、ボストンバッグにした私正解では。今回の旅のストレスは殆どこの東京駅構内のものだ。東京は、ゴールデンウィーク期間中は、皆都外に出るので意外と人が少ないという人間の言葉を鵜呑みにしてはいけない。東京駅がいつも以上に人が居るというトラップがあるからだ。兎に角、私はホテルに向かうことにした。ホテルの最寄駅が潮見駅だったので、京葉線を探しえっちらおっちら向かうことに。また京葉線が遠い。東京駅の端っこの端っこにある。本当に端っこの端っこなのだ。多分あれ一駅分くらい歩いているのではないだろうか。遠い上に更に地下にものすごく潜っていくのだ。京葉線は村八分でも食らっているのだろうか?

ホテルは駅から非常に近く。これには非常に助けられた。
ホテルで必要な分だけ荷物を取り分け、荷物を預けてから駅に向かう。
潮見から君津に行くには、まず蘇我という駅に行かなければならない。駅員に確認したところ、蘇我には快速しか行かず、潮見駅は普通しか停まらない為、快速の停まる駅で乗り換えが必要とのこと。電車に乗り込み、一息ついたところで、家族に「君津に向かいます」とラインすると、「忘れ物ないようにねー」と返事が来る。私はその言葉を脳内で反芻する。忘れ物ないように、忘れ物、忘れ物、忘れ・・・・やば、チケット忘れたわ。私はその言葉でチケットの存在を思い出した。まさに命の恩人である。もし君津に着いてから、若しくは君津近隣まで行ってから気付いていたら・・・・私は、ゾッとした。泣くどころの騒ぎじゃない。もしかしたら君津に住むとか言い出すかもしれない。もう帰るとか言い出すかもしれない。どちらにせよ地獄の2日間になっていたのは間違いない。本当に、本当に、危なかった。
私は急いで電車を降り(慌て過ぎて何駅だったかも覚えてない)そこから向かいの電車に乗ったら・・・乗ったら・・・・潮見を通り過ぎたのです・・・。これには私も動揺を隠せなかった。そう、潮見駅は普通しか停まらない。まさかこの短期間に再テストあるなんて思わないじゃない。参考書もう箪笥の奥にしまってるわよ。チケット忘れるという愚挙は私の心拍数をMAXまで上げたが、更なる愚挙を繰り返す私。心拍数は更に上がり、私の心臓は爆発する寸前だった。心臓の付近で誰かが太鼓を叩いている。それは君津に着くまでの間、私の中で叩き続けていたのだ。私は慌てて東京駅で降り、蘇我行きに乗り込む。思い出しただけでまた太鼓の音が聞こえる程だ。きっとゴールデンウィークに挙動不審な中年女を見た人間は、狼狽しただろうが、私はそんなこと知ったこっちゃないのだ。君津に辿り着けるかどうかの瀬戸際なのだ。私狼狽え、キョロキョロと窓の外何度も見たり、スマホを見たりソワソワと落ち着きのない動きを繰り返す。世間には挙動不審な人間が沢山居る。きっとそれぞれ事情があるに違いないのだ。事情があると分かれば、きっと優しくできる筈だ。私はそう信じてる。

急いでチケットを取りに戻り、潮見駅から蘇我に向かう。途中で新浦安で乗り換えと聞いていたが、その手前の舞浜の電光掲示板に「快速 蘇我行き」の文字が見え、閉まりかけていた扉を無理矢理外に飛び出した(よい子は真似しないでください)目の前でしゃがんでいた男が私をじっと見ていた気がするが。そんなことはどうでもいい。君津に時間通りに着くか?着かないか?私の頭はそれだけだ。舞浜駅には女子高生が沢山居た。そういえばこの近くはディズニーランドがあったのか。夢の国?そんなものはどうでもいい。
無事、電車が到着し、私はそれに乗り込む。太鼓の音がでかくなったり小さくなったりしながら私の心臓の音を表現している。蘇我に無事に辿り着き、内房線を目指して動き出す。そこには内房線と外房線があり、君津は内房線だ。暫く待っていたら「外房線 木更津行き」なる電車が現れ、私を混乱させる。木更津・・・聞き覚えのある音だ・・・。確かこの駅と君津は近かった筈。もしかしてこれ、乗った方がいいやつ??いや、しかし待てよ。乗り込んでみるも少し怪訝な気持ちが残る。そのうちに向いに「内房線 君津行き」の文字が見える。私は、慌てて飛び降りる。20分後に発である。君津行きなら、間違い無いだろう。と椅子に座って暫くしていると、私の中に暗澹たる気持ちが湧き出てくる。君津と書いてあるが、君津に行かなかったら・・・??私はゾッとした。いや、君津行きって書いてあるから君津は行くやろ!という気持ちと、でも行かんかったらどうする?という気持ちが私を苦しめた。私は湧き上がってくる不安な気持ちを無視できずに、たまらず駅員に「この君津行きって君津行きますか?」と尋ねた。駅員は嫌な顔1つせず「君津行きだから君津行きますね」とバカでも分かるように優しく答えてくれた。当たり前のことも分からなくなる。千葉はそんな場所なのか?(お前がバカなだけである)

電車が無事到着し、乗り込んだ私の心はやっと平穏を取り戻していた。車内は静かで人もまばらである。私は車窓から見える千葉の景色を堪能できる程の余裕を取り戻したのである!車窓から見る千葉の風景は、私の住んでる関西と何も変わらなかった。車窓の写真を見せられて「これ京都やで」と言われても私は信じたであろう。驚くことに、暫く走っていると田んぼのある風景が連なっていた。千葉を肉眼で確認するのは初めてなのだが、こんな風に田園風景が広がっているとは思わなかった。遠くの臨海線に工場が連なっていて、工場好きないつも一緒に行っている人がここに居たら良かったな、と思ったりした。大きな風力発電の風車がぐるぐる勢い良く回っているのを見て、何とも言えないもの寂しい気持ちになる。この寂寥感がたまらない訳だが。何度味わっても、やはり胸を締め付けてくる。
車内の放送でダイアンが映っていた。ユースケのことは一方的に知っているだけだが、何となく全く知らない土地で知り合いに出会ったような少しの安堵感を覚える。東京で頑張ってるんやなぁ、とぼんやりと考える。
君津に到着し、駅の外に出てみると、本当にとんでもない所まで来てしまった感が強かった。見知らぬ土地で見るコンビニ、人間、パチンコ屋。そしてエレカシTシャツを着た人たちのバスを待つ長蛇の列。私は、まじか、という気持ちと仲間を見つけた安心感にホッと胸を撫で下ろす。ここまで来ればもう大丈夫、という気持ちが胸に広がり、私はのどかな風景の中、ゆったりと待つことにした。そしてぼんやりと、「よく来たなぁ」としみじみと思った。空は晴れすぎるぐらいに晴れていて、気候もちょうど良く、日差しは少しきつかったけど、気持ちよかった。きっと、宮本さんがコンサートをやらなければ二度と来ないであろう場所に自分が居るという不思議。恐らく地元の人であろう若者が私達の列をキョロキョロと何事だ?という風に見ていた。きっと普段はがらんとしていて、こんなに人が居ることはないのだろう。だだっ広いロータリーに人影はまばらで、私達の長蛇の列だけが違和感を持ちながら存在感を放っていた。
行ったことのない場所、だけど、私の住んでる場所と地続きの風景。きっと、こんなことがなければ知ることもなかった場所。そこにも人が住んでいて、生活が脈々と続いてきた。そんな当たり前のことを、改めて実感する旅だった。





どうでもいいことだが、内房線を走る電車の車窓から風景を見ていたら、千葉には緑がとても多いように感じた。公園も草が生い茂り(管理されていないような感じではない)木々も沢山植えられていて、それがとてもいいなと思ったのだ。日本はどこも似たような風景で、同じような生活があるのだろう。だけど、ふとした所にその土地のオリジナルを見つけたりする。
バスを降りたら目の前に田んぼが広がっていて、道路を挟んだ向かい側に君津市民文化ホールがある。家の近所にもこうゆう文化ホールあるなぁ、などと思う。まさかこんな場所に宮本さんが来るなんて。そしてそれを追いかけてこんなところまで来るなんて。もしかしたら、私の近所にも、こんな場所まで来るなんて、という人が居るかもしれない。もしかしたらもう二度と行かないかもしれない場所を訪れる不思議。
好きという気持ちのエネルギーの強さを改めて感じるのと同時に、縁というものを感じずにいられなかった。

今回、何故君津なのだろう。という1つの答えとして、地形があまりにもあの場所に似ているなと思ったのだ。恐らくそういう意図はあったに違いない。私たちは離れていても繋がっている。それを見ている側、演じる側にも感じさせる意図があったのではないか。過去と現在の繋がり、土地の繋がり。そう、日本はどこまでも繋がっているのだ。私は色んな場所に行きながら、それを毎度強く実感するのだが、今回一際強く思った。君津という場所がある。それを知るということ。実際に訪れるということ。遠くて近い、日本という土地に想いを馳せる。

東京というダンジョンに慣れてきた頃、新たなミッションを課せられる。それが今回の君津・イン・ポッシブルだ。
私は、最初「君津」という場所の遠さに怯んだ。それはもう怯みまくった。
行くか行かないか散散悩んでいた時、思い出したのはかつて25thの時にエレカシ見たさにアラバキまで行った時のことだった。あの時も、荒吐という場所の遠さに怯んだ。それはもう怯みまくった。
きっと、エレカシが出てなかったら一生行かないであろう場所。荒吐。
あれは私にとって1つの功績として讃えられていたし、折に触れて「まぁ、私アラバキ行ったし」という自信になっている。
きっと今回の君津も、「まぁ、私君津行ったし」という1つの自信になった筈だ。
成せば成る。という言葉通り、何とかなるのである。大事なのは、やろうと思う気持ちである。
まるでハンターハンターでビスケに鍛えられているゴンとキルアのように、人生を生きる上での必要なスキルや心持ちを神様から教えられてるのかもしれない。
できないことはない。やりたいかやりたくないか。方法は後から何とでもなるのである。
さて、次のダンジョンは何だろうか。
楽しみである。

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