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小説を脳内で再現すること

小説を読む時、貴方の脳内ではどんな世界が展開されているのだろう。

以前どこかで、絵を描く人は絵や映像として脳内に再生されている。というのを読んだことがある。

私も全く同じで、小説を読んでいる時は、今までの自分の培っていたファンタジーであればファンタジーの、歴史であれば歴史の、現代であれば現代のイメージを再現、再構築する。
児童文学であれば、その物語に雰囲気の近い挿絵を脳内から引っ張り出してきて、それで再現する。私が好きな児童文学の挿絵作家といえばルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」のジョン・テニエル。マージェリー・シャープのビアンカシリーズのガース・ウィリアムズ、などか。日本の児童文学であれば竹下文子の黒猫サンゴロウシリーズの鈴木まもる。など。
場面場面で、ディズニーっぽくなったりもするし、ジブリに変化したりもする。

村上春樹の小説などは、くっきりと再現というよりはぼんやりとイメージが流れていく感触だ。脳内で再現、再生する際に、やはり作者が強くイメージしていればしている程、そのシーンは色鮮やかに鮮明にくっきりとイメージできるような気がする。挿絵があったりすると、その再生の一助にもなったりするか。村上春樹の世界は和田誠のイメージが強い気がする。なので脳内で再生される時も和田誠のイラスト調で展開されることが多い。その登場人物の描写がくっきりとしていると、リアルにイメージも出来るが、登場人物の顔ははっきりと見えづらいことが多い。
村上春樹といえば私の中では「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」なのだが、これに関していうと、かなり詳細でくっきりとイメージできている。それというのも、村上春樹の世界の終わりの描写が詳細な為である。私は読ながら、「村上春樹は世界の終わりに行ったのだろうか?」と訝しんだものである。また、私が驚いたのは、ハードボイルド・ワンダーランドにて主人公が博士の娘と一緒に博士の居る地下まで行く際にやみくろと呼ばれる地下に蔓延る正体不明の生物から逃れながら地下を歩んでいく描写である。ここの描写には本当に度肝を抜いた。村上春樹の描写力には思わずハッとするような力強い再現性の高いものがあるんだけど、ここの描写がほんとに凄い。村上春樹はあの地下通路を通ったことがあるのか?あの緊迫感、恐怖感、私も思わず太った娘に頬を打たれたような錯覚すら起こすのである。ここのイメージは殆ど暗い為、イメージというよりは、主人公の心情のイメージ、という方が近い。
村上春樹と恐怖描写は本当にリアリティが凄く、怖い。私がもう1つ怖いものを挙げると、「羊をめぐる冒険」で主人公が鼠を探しに古い洋館を訪れ、鼠と出会うシーンである(「羊をめぐる冒険」の描写はどちらかというと私的には実写として再現される)

物語を映像として再現するに辺り、特に大事なのは視点だと感じてる。
主人公の内面を主に描写している作品であれば映像の中に主人公の姿はなく、主人公視点になる。内面の描写に重きを置かず、外的描写に重きを置かれている場合は、映画的な映像として主人公は映像の中心に動く。

寓話的な話であればグリム童話の挿絵のように展開されたりもする。
小説ではなく文献的なものであればその言葉のイメージが展開され、流れがあれば、その流れが映像として流れる。

私は、文字や文章にも人の想いが残ると考える。
小説や物語であれば、その場面は特に印象深く色鮮やかに再現されるし、
文献なども、強く心に引っかかる。
小説なんかはその世界の空気感や匂いや湿度を感じることなんかもある。
本を開くだけで異世界に行けるのだ。


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