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『イルカとあおぞら』#5

2月16日 火曜日
 
 
 お誕生日おめでとう、わたし。
 高校合格おめでとう、わたし。
 特待生、受かったね、わたし。
 
 
 よくがんばったね、おつかれ。
 
 
 
 だめだ。泣かないでいよう、って、思ったのに。
 湊も、橙子さんも、お祝い、してくれた、のに。
 ひーちゃんも、メッセージで祝ってくれたのに。
 おかあさんと、おとうさんの、声が、ききたい。
 
 
 会いたい。あいたいよ。
 
 
 
「——あれ。どしたの、るりちゃん」
 降ってきた声に、顔を上げた。白くなって溶けていく吐息の向こう、黒曜石の目が、静かにわたしを見ていた。
「……え?」
 はっとして、あたりを見まわす。ふわふわと白い雪が舞う、夜の路地。うずくまるようにして、座り込んでいるわたし。正面には、黒い傘を広げて立っているユウさん。状況が、飲み込めない。
 なんで、わたし、外にいるんだっけ。
「んーと。まあ、とりあえず、寄ってったら。外、寒いんじゃないの」
 顔、青いけど、って言われて。慌てて、頬を触る。冷たい、凍ってるみたい。
「あ。……ごめん、なさい」
「謝ることはないよ、なんも」
 立てる? って。立ち上がるのに、手を貸してくれた。ユウさんの手、ちょっぴり、ひんやりしてた。
 
 
 工房の二階に、あがらせてもらって。はい、って渡されたブランケット。少しだけ迷ってから、肩に引っかける。それで気づいた、いまのわたし、コートも着てないし、マフラーも巻いてなかった。それと、
「るりちゃんがここにいるって、橙子たちは知ってるのかな」
「えと、……知らない、と思います」
「ふむ。じゃあ、まず連絡したら」
「あ」
 ぱたぱた、服を探ってみる。はらはら、あちこちから雪が落ちてくる、けど。このかっこう、ポケットがない。て、ことは、つまり。すう、っと顔が青ざめたの、鏡がなくても自覚できた。わたしのようすを見ていたユウさんが、ゆるり、首を傾ける。
「携帯、なさそう?」
「置いてきた、っぽい、です……」
「そっか。そしたら、俺から連絡しとく。それでいい?」
「おねがい、します」
「ん、わかった」
 ローテーブルに伏せてあった黒いスマートフォンを、ユウさんの左手が持ち上げた。仮想キーボードを操作するときの、軽めの電子音がうっすら聞こえる。入力、わりとゆっくりなんだな、このおにいさん。
「よし、連絡ついたよ。湊が迎えにくるって言ってる」
「あ。わかり、ました」
「うん。あとはー……ああ、そうだった」
 作業台の引き出しから、ばらばら取り出されて並べられるもの。ランプワーク用の、ガラスロッド。
「——あ」
「このへん、どれもボロガラスなんだけど。るりちゃんなら、どう使うかな、と」
 いくつかざっと見せてくれた、ロッドのうちのひとつ。青くて、透明で、きらきらのがあった。
 ちょうど、わたしが、つくりたい、って思う色の。
「いい、んですか?」
「うん、いいよ。俺、バーナーやらないから」
「……ランプワーク、やらないのに、ボロとか買うんですか」
「んーとね。このへん、ナギがどっからか仕入れて押しつけてきたのがほとんどなの。俺には使えない、って何度も言ってるんだけど」
「なぎ、さん?」
「あ、面識ないか。なんだろ、相方? みたいな?」
「あいかたさん」
「うん。隣の雑貨屋、見たことある?」
「えと、……こないだ、前は通った、ってくらい、です」
「そっか。あれ、ナギの店なの。あいつ、ガラスのハンドメイド専門店やってて」
 そう、だったんだ。すとん、と納得。この工房への入りかた、雑貨屋さんを目印にするとわかりやすいよ、っていうのは、湊からも教わったことだけど。関係者さんのお店だったんだな、なるほど。
「まあ、とりあえず。そのへんのロッド、いじってみる?」
「ん。お借り、します」
 ブランケットは、いったん、離れたところに置いておく。作業中のガラスは高温になるから、燃えやすいものは近くに置いちゃいけない。作業台とか道具、ひととおり点検して、安全を確認してから、バーナーを着火。
 バーナー、おうちのと、基本的なことはおんなじだけど、どうだろう。いったん、適当なガラスロッドをひとつ手に取る。基本の球体づくりから、慎重に試す。
 ——うん、そんな気はしてた、けど。
 ちょっと、おうちのと癖が違う。いきなり本番、ぜったい危ない。いまのロッドは徐冷剤に突っ込んで、置いてあるロッド、いくつかぺたぺた触ってみる。触った感じ、たぶん、このへんの子。色が違うだけで、性格が似てる子たち。桜、みたいな淡い色。わたしがつくりたい色とは、少し違うけど。
 とりあえず、なんとなく、イメージを浮かべる。素直に、桜にする。まだ季節には早いけれど、進学記念、とか、そんなふうに思っておく。
 ガラスロッドを、熔かしていく。くるくる、回しながら、まんまる、まずは球体をめざす。
 なんだろ、熔けるのが早い。火力の差、っぽいかな。普段やるよりも、少しだけ、手早く。そうでないと熔かしすぎる。たぶん、直感より一拍短め、くらいだろうな。このロッドで、このバーナーだったら。全体的に、一瞬早いかも、って感覚でやると、ガラスがいちばん素直で扱いやすい感触になってくれる。
 綺麗な球体、つくれた。ここから、イメージに沿って、かたちを整えていく。桜の花びらみたいな、やさしい曲線にしたい。花びらがつくれれば、このあとつくりたいかたちにもできるはずだ。
「ほんと迷わないね、るりちゃん」
「迷ってる暇、ない」
「あー。それもそっか、ガラスだもんね」
 火のなかで迷ってたら、熔かしすぎるし。火の外でだって、迷ってたら意図と違うかたちに固まってしまう。
 少し熔かしたり、また整えたり。微調整しながら。——よし。花びら、つくれた。
 成形ができたら、そのあと、徐冷、って手順がある。ガラスって、一気に冷やすと歪む。最悪の場合は、それで割れる。だから、徐々に冷やす。ここ失敗すると、もう、すごくかなしい。
 炎のなかで、まず仮徐冷。温度を少しずつ下げていく。そのあとで、温めておいた小さな電気炉に移す。一定の温度でしばらくキープ、だんだん冷えてくように設定。この子は、一日かけて冷ますのがいい、ていうか、必須だと思う、んだけど、
「……あ、工芸教室」
「ああ、だいじょうぶ。その電気炉なら、ほかにもたくさんあるし。気にしないで、そのまま使っといて」
「そ、っか。わかった」
 借りていたゴーグルを外して、はあ、とひとつ息を吐く。今夜は、さすがに、このくらいでやめておくかな。火から離れると、一気に冷える。借りてるブランケットを、羽織り直して、胸の前あたりで結んで。
「……ん、あれ、るりちゃん。徐冷点とか歪点とか、調べなくていいの」
 尋ねられたことの意味が、よく、わからなくて。首を傾げると、ユウさんのほうも不思議そうにしてわたしを見ている。
 もちろん、徐冷点や歪点って言葉の定義は、わたしもわかってる。その温度を境に、ガラスの性質が変化する。どちらも、ガラスを適切に冷やすのに必要な情報、だけど。
「それって、調べるもの? 見て、触ってたら、そのへんはわかる、けど」
「そうなんだ? それ、すごいね」
「え。……ユウさんは、違う?」
「俺には真似できないな、ぜったい。そんな作家さん、るりちゃんのほかに知らない」
「そう、なの?」
「うん。膨張係数は、まあ、ガラス混ぜてないからいいとしても、温度とかなんにも聞かずにつくりはじめたから。最後まで聞いてこなくて、ほんと、びっくりしてた」
 そういうもの、なんだ。そういえば、湊にも心配されたことが、あった、ような。
「どのへんでわかるの」
「ん、と。……なん、だろ」
 ついさっきまで、ガラスをいじっていたから、その感触がまだ指先に残っている。自分の小さな手、ぼんやりと見つめながら。
「それぞれ、見てて、触ってると、この温度だな、この温度以外ないな、って、思う、から、それで決めてる、ていうか。混ぜるときも、なんだろ、ロッド触ってる段階で、仲がよくなさそうな子は、いやがってるのがわかるから、一緒にしない、みたいな」
「そうなんだ。音楽やるひとの絶対音感みたいだね、おもしろい」
「……あったかい、って書いて、『絶対温感』?」
「あー。そうかも」
 ユウさんが、手のひらをぽんと拳で叩く。そのあとで、ふわ、っと表情が和らいで。
「そっか。ガラスのほうも、るりちゃんのこと、だいすきなんだ」
「なの、かな」
 よく、わかんないけど。
 そうこうしていたら、階段のほうから足音が聞こえてきた。よく知ってるひとの音。振り向いてみれば、
「こんばんはー」
「あ。来たね、湊」
 やっぱり。わたしと目が合うと、湊は安堵したようにやわらかく笑った。
「るり、そろそろ帰ろっか」
「わ、かった」
 借りていた椅子から、そろり、立ち上がる。忘れもの、ないかな。って言っても、持ってきたもの、とくにないような。あ、でも、
「あの、作品。どう、したら」
「ん。あしたとか、あさって? るりちゃんの都合つくときに、迎えにきたらいいよ」
「そ、か。そうする」
 わたしのコートを、湊が持ってきてくれてた。肩から引っかけてたブランケットの、結び目をほどいて、たたんで。……ああ、そうだ。
「これ、洗って返す、ので」
「んー? いいよ、そのままで」
「え、でも」
 雪とか、雨とか、ついちゃったと思うけど。ほんとに、いいのかな。
「んーとね。ライナスの毛布、って言ったら、るりちゃん知ってるかな」
「……あ」
 心理学用語、だっけ。ユウさんの口から出てくると思わなかったから、ほんの少し、反応が遅れてしまったけど。そっか、そんなに、だいじなものだったとは。それなら、返したほうがいいだろうな。落ち着かなくて眠れない、みたいなことになっちゃうと、つらいだろうし。せめて、もうちょっと丁寧に、たたみ直すことにする。
「貸してくれて、ありがと、でした」
「うん、どういたしまして」
 そのあとは、コートを着るの、湊に手伝ってもらって、湊のマフラーをぐるぐるに巻かれて。マフラーなしで、寒くないのかな、なんて思ったけど、言わないでおいた。わたし、とてもじゃないけど、ひとのことを言えるようなかっこうはしてなかったし。
「なんか、るりちゃん、もこもこだね」
「あはは。さすがにちょっと長かったかな、マフラー」
「んー……まあ、短くて結べないよりはいいんじゃないの」
「あ、そっか、たしかに。るり、苦しかったりしない?」
「それは、平気、だけど……」
 なんて、いうか。靴、履こうとしてみたけど、首元ふわふわしすぎて、足があまり見えない、というか。階段に手すりがついてたから、全力で頼らせてもらった。
 工房を出てみたら、いつのまにか雪は止んでいた。雲の隙間に、お星さまが見える。吐息が、ふわり、白くなって、空へ流れていく。
「るりがお世話になりました。またー」
「お邪魔、しました。またね」
「ん。ふたりとも、いつでもおいで。待ってるから」
 ゆるりと手を振るユウさんに見送られながら、湊に手を引かれて帰った。橙子さんがおうちの前で待ってて、おかえりなさい、無事でよかった、って迎えてくれた。
 
 
 
 わたしから言えることじゃない、と思ったから、言わないでおいたけど。
 橙子さん、ちょこっとだけ、目が赤くなってた。泣いてた、んだろうな。
 
 待っててくれて、ありがとう。
 心配、かけて、ごめんなさい。


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