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『イルカとあおぞら』#6

2月18日 木曜日
 
 
 水曜の、わたしが動ける時間だと、工芸教室と重なってたから。
 一日空いちゃったけど、木曜日にしておいた。
 
 
 雑貨屋さんを目印に、路地へ入って、レンガづくりの建物。そろり、お邪魔します。グラスとか、お皿とか、午後の日差しできらきらしてる。やっぱり、綺麗だな、って。ひととおり、作品たちを眺めていたところに、
「あ、るりちゃんだ。いらっしゃい」
 後ろから、声が聞こえて。ちょっと、心臓、思いっきり跳ねた。慌てて振り向けば、二階へ上がる階段の途中に、ユウさんが立っていた。
「ん、ごめん。驚かせるつもりじゃなかったんだけど」
「だいじょぶ、です、こんにちは」
 よかった。ガラス、割らなくてよかった。こっそり、小さく息を吐く。
「作品のお迎え?」
「ん。徐冷、無事に終わったかな、て、思って」
「そっか。ようす見てあるよ、問題なさそうだった」
 まあ、あがっていったら、って。言ってくれたので、お言葉に甘えて。のんびりと階段をのぼるユウさんのあとに、ついていく。ほのかに、古い木の香り。
「ほんと、すごいね。徐冷の設定、なんも見ないでわかるとは」
「……やっぱり、ほかのひとは、そうじゃない、んだ」
「まだ信じてなかったの」
「だ、って。わかるものは、わかる、から」
「はじめて触る道具で、はじめて触るロッド、だよね」
「そう、だけど……それ、その言いかた、ユウさんこそ信じてないんじゃ」
「うん、まあ、にわかには信じがたいな、ってのが正直なとこだったんだけど」
 二階はあいかわらず、雑然としてる。靴脱いで、あがらせてもらって。てきとーに座っていいよ、と言われたけど、どこに座ろうかな。結局、今回も、作業台の椅子を借りた。
「で、これ。こないだの、るりちゃんの作品」
 どーぞ、って、わたしの手の上に乗っけてくれた、桜の花びらみたいなペンダント。革紐は、おまけであげる、とのこと。わりと、よくできた、と思う。穴を開けるのは、帰ってから、おうちの工具でやろうかな。慣れない道具を使って無理して、うっかり割ったりしようものなら、ちょっと、しばらく立ち直れないかもしれないし。わたし、作品を割っちゃった経験って、ほとんどないから。
「綺麗だよね。なんか、湊の作品を思い出す感じ」
「……似てる、の?」
「んー、作風はけっこう違うんだけどね。細かいとこの丁寧さが、よく似てるな、と」
「そこ、は。ガラス、湊に教わったから、じゃないかな」
「ああ、それもそっか。先生の影響は大きい」
 なるほどなー、って。反芻するようにつぶやいたユウさんが、そのあとで、ゆるく首を傾げる。なんだろ、と思いつつ見ていたら、
「んーと。これ、べつに深い意味はないから、無理して答えなくていいんだけど」
 ユウさんはそう前置きして、続ける言葉も慎重に選びながら、そっと尋ねてくる。
「るりちゃんって、湊の……なんだろ、親戚とか?」
「あ、えと。血縁、ってわけじゃ、なくて……」
 あれ、待って。この関係って、幼なじみ、って言葉で、あってるのかな。
 たぶん、お互い小学校に上がる前とか、そのくらいの時期に出会ったのが最初で。それ以来、長期休みのたびに家族ぐるみで会ったり、遊んだり。血のつながってない親戚、みたいな感覚もあるけど、幼なじみって説明も、間違ってないと思う、ので。
「湊とは、幼なじみ、で」
「あー、そっちか」
「ん。そっち、です」
 はじめて会ったときのこと、わたし、あんまりよく覚えてなくて。湊に話を聞いてみたこともあるけど、「るりがすっごくかわいかった」って言うばかりで、具体的なことはろくに話してくれなかった。あれはぜったい、なにか覚えててはぐらかしてる。わかってる、年齢の差はどうにもならない。わかっていても、なんだか、ずるい、と思ってしまう。
「その。橙子さんちで暮らしてるのは、ちょっと、いろいろあって」
「そうなんだ。面倒見いいもんね、橙子も湊も」
「——うん。すごく、助かってる」
 わたしの答えに、よかった、とユウさんは穏やかに笑って。それ以上、この話題に踏み込んではこなかった。手のなかのペンダントを、きゅっと握りしめる。
 なんで、みんな、こんなに優しくしてくれるんだろ。
「あの、それで言うと。ユウさんと、橙子さんは?」
「んー?」
「えと、その、どういうご縁、というか……」
 尋ねてみれば、ユウさんはきょとんとして、さっきとは反対のほうへ首をひねった。わたし、なんか、変なこと聞いちゃったかな。
 でも、橙子さんのことを呼び捨てするひと、わたしはユウさんのほかに知らない。うちのおかあさん、橙子さんと幼なじみだったから、橙子、って呼んでたかも、って記憶はうっすらあるんだけど、そのくらい。
「ん、あれ。そのへん、とくに聞いてない?」
「聞いてない、と思う」
「ああ、そうだったんだ。橙子もガラスやってた、ってのは、るりちゃん知ってる?」
「いちおう」
 そうでないと、橙子さんのアトリエだったお部屋に、あんな本格的な酸素バーナーが設置してあるの、説明つかない。
 そっか、とユウさんはひとつ相槌を打ってから、さらりと答えてくれた。
「べつに、たいした理由じゃないんだけどね。橙子と俺、同じ工房で、同じ先生からガラス教わってた時期が長くて」
 なるほど。同じ先生に師事してた、となると、
「きょうだい弟子、みたいな、かんじ?」
「そういうこと。橙子が姉弟子」
 ……あれ。てっきり、ユウさんが兄弟子なのかと思ってたけど、逆なんだな。
 ここ、わたしが引っかかるだろうな、っていうのは読まれてたみたいで。ちなみに、って、ユウさんは言葉を続ける。
「橙子、って呼んでるのは、本人の希望です。なんか嫌がられるんだよね、橙子さん、とか呼ぶの」
「……なんで?」
「うーん。まあ、これでも付き合い長いから、なのかな。敬称とか使って声かけると、なんか、よくわかんないんだけど、他人行儀だー、みたいな文句言われちゃって」
「なる、ほど」
「ん。あとね、上の名前で呼ぶと、湊も返事してくるんだよ。いま呼んだのどっちー、って。それで結局、ふたりとも下の名前で呼び捨てにしてる」
 その光景が目に浮かんで、つい笑っちゃった。それ、湊も橙子さんもやりそうだし、好きそう。
「……そんな笑う?」
「だって。あのふたりだったら、やるもん」
 ていうか、そうだ、わたしも言われたことある。橙子さんのこと、鳩羽さん、って呼んだら、ふたりして「どっちー?」なんて、すごく楽しそうに返してきて。それでわたしも、橙子さんのこと、下の名前で呼ぶようになったんだった。そのときの話をしてみたら、ユウさんも笑ってくれた。あの親子はー、って。呆れたように、だけど、あくまでも軽やかに。それで、わたしもまた笑ってしまった。
 ああ、でも、そっか。ひっそりと、思う。そうだよね。あのふたりは、ほんとに、親子なんだよね。
 わたしが、橙子さんの子どもじゃない、って、だけで。
 無意識のうちに落ちてしまった視線が、ちょうど、自分の手首、腕時計のあたりで止まった。あ、もう四時になるんだ。あっというまだな、と思う。
「ん、なんか用事とか?」
「あ、えと。そういうわけ、では」
「そっか。もうちょっとここにいるのでも、帰るのでも。どっちでも、るりちゃんの好きにしていいよ」
「ん、と。……そしたら、きょうは帰る」
 湊、きょうは部活もバイトもない、まっすぐ帰ってくる、って言ってたから。
「わかった。ロッドとか足りてるかな」
「だいじょぶ、おかげさまで」
「そう? それならいいんだけど」
 向こう一か月は、なにも買い足さなくても制作ができそう。なんなら、収納場所に困ってるくらいだったり。
「なんか要るもの、あったら言ってね。どっちみちボロガラスは持て余すし、ここにないものでも手配できるし」
「あ。ありがと、助かる」
「うん、覚えといて。これでもいちおう、ガラスの工房で、ガラスの職人なので」
 びっくりして、言葉をなくした。このおにいさん、そもそも冗談言わないんだけど、なんだろ。自嘲する、みたいな内容は、なおさら口にしないイメージがあったから。
 返事に詰まっていたら、ユウさんがゆるく苦笑して。
「失礼しました。自己否定とかそういうの、なるべく言わないようにしてるんだけど」
「え、と。……無理して、言わないように、って、がんばらなくても、いいんじゃ」
「……そう?」
「その。びっくりはした、けど……わたし、いまの聞けて、安心したところもある、から」
 ユウさんって、なんとなく、タロットの大アルカナでいう隠者とか、吊るされた男、みたいな。どこか超然とした、達観したひと、って印象だったんだけど。
「ユウさんも、不安になること、あるんだな、って」
「え、なに。るりちゃん視点、俺って仙人かなんかなの」
「んと。そういうふうに見えてた、のは、認める、というか……そうじゃないんだな、ってわかって、ほっとした、ていうか」
 ちゃんと、伝わったかな、って、不安で。よく見てたから、かろうじてわかった。ユウさん、目をまるくしてた。そのあと、ふわりと表情がやわらかくなる。
「——そっか。ありがとね」
「え、う。……お礼、言われるような、ことじゃ」
「そう? まあ、俺が言いたくて言ってるだけなので。あんまり気にしないで」
 湊、そろそろ帰ってくるんじゃないの、って尋ねられて。今度は、わたしのほうが目をまるくする。そうだった。ぱたぱた、荷物をまとめるの、手伝ってもらいつつ。
「それじゃあね、気をつけて。また気が向いたらおいで、てきとーに待ってるから」
「ん。またね、ユウさん」
 
 
 
 ……やっぱり、なんか、こう。
 
 ユウさん、隠者みたいだよね。
 霞、食べてたり、しないよね。
 
 
 湊に言ってみたら、笑ってた。
 否定しきれないかも、だって。
 
 
 まさか、そんな。
 ……違う、よね?


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