『イルカとあおぞら』#3
2月10日 水曜日
練習、しすぎた、かも。
ガラスも、そのほかも。
かけらも、残ってない。
引き出し、からっぽ。棚にもない。段ボールもいちおう見たけど、なんにも入ってなかった。あと、どっか、材料、しまうとこ。なんか、あるっけ。考えてみる、けど、ひとつも思い当たらない。あたま、まっしろ。思考を巡らせようとしても、さらさら散ってしまって、なんにもまとまってくれない。
砂でも、掴もうとしてる、みたいな。
ぱちん、と。唐突に、軽い音がした。照明のスイッチを、入れる、ときの。ぱっとお部屋が明るくなって、ちょっと目がくらむ。そういえば、電気、つけてなかったな。ドアのほう、振り返ってみると。
「どうしたの?」
まだ、明るさに目が慣れない、けど。声でわかった。
「み、なと?」
「うん。ばたばたしてるの聞こえちゃったから、ようす見に来たんだけど……なんかあった?」
「ない、の」
ガラスが、ないの。
絞り出すみたいにしないと、声にならなかった。ぽろぽろ、勝手に涙があふれて、止まらなくなって。
「ガラス、ぜんぜん残ってなくて。ぜんぶ、使っちゃってたみたいで、でも気づいてなかったから注文してなくって」
「あー、そういうことか。心細いね、それは」
ぺたりと、頬に触れてくる大きな手。あったかい。細く震える呼吸を落ち着かせるように、もう片方の手で背中をなでてくれる。それで、とうとう堰が切れた。こどもみたいに泣きじゃくるわたしを、湊が抱き寄せてくれた。
不安だよね、怖かったよね、って。
「だいじょうぶだよ、僕も一緒に考えるから」
こくりと頷いて返事に代えたら、そのあとは、もう、ぜんぶ洗い流すみたいにただ泣いた。仕事とかそういうのじゃない、趣味でやってることなのに、材料がないってだけでこんな怖くなっちゃうの、おかしいかな。でも、ほんとに、呼吸のしかたすらわからなくなるくらいに、不安でいっぱいで。湊はわたしが泣き止むまで、ずーっと抱きしめてくれていた。
ぽん、ぽん、と背を叩く手に助けられて、どうにか呼吸を整えて。
「ごめん、ありがと」
「落ち着いた?」
「なん、とか」
「うん、そしたら、ちょっと一緒に考えてみよっか」
「……ん」
くしゃり、わたしの髪をなでた手が、そっと離れる。
「んーと。ガラスがない、って言ってたけど、もうなんにも在庫がない感じ?」
「そういう、かんじ」
「ふむふむ。そうなると、ダイクロだけ手に入っても解決しない、と。確実なのは、まあ、いつものお店だろうけど……」
「でも、どんなに早くても、注文してから発送までに、一日はかかる、から」
「ああ、そっか。おまけにあした、祝日だもんね」
「う」
それは、考えてなかった。わたしがいつもお世話になってるオンラインショップ、祝日は営業してなかったはずだ。また視界が歪みそうになるのを、どうにか耐える。なんで、ガラス、切らしちゃったんだろ。ぐるぐる、暗くなっていくばかりの思考を、湊の声が穏やかに遮った。
「だいじょうぶ、なんとかなるよ」
「え」
なんとか、って、どうやって。戸惑って見上げると、そんな顔しないでいいのに、って湊が苦笑を返してきた。
「あした、買いに行こう。ガラスの工房が近所にあるから、案内する」
「……え、でも、学校」
「あしたは祝日でお休みだよー。建国記念の日」
「あ。そう、だっけ」
「うん、だから、今夜だけ。我慢できそう?」
一晩だけ、なら。
「待つ。待てる」
「わかった。そしたら、あしたの朝いちばんで行こっか」
小さく頷いたわたしの頭を、湊はふわふわと優しくなでてくれた。
明かりを消してアトリエを出たら、隣の部屋に戻って。
おふとんのなかで、自分の指先、ぼんやりと見つめる。
やっぱり、ガラス、触りたいな。
早く、あしたにならない、かな。
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最終更新:2022/12/10
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