『イルカとあおぞら』、旅路の果てより。
おはようございます、こんにちは、こんばんは! 星が降るラボラトリの、雨谷とうかです。
前作『月のあかりと流星と』発行からおよそ1年で発行した『イルカとあおぞら』ですが、まーたしても作者の名義が変わっております……これ以上は改名しない、つもり。
こころはいつまでも飴屋さんです。
さて今回は、『イルカとあおぞら』の制作中に考えていたこととか、振り返りとか。そういうのを、ここに書き残してみたいと思います。
……『イルカ』発行から1年半、ずいぶん経っちゃいましたが! いまだからこそ落ち着いて書けることなんかもあったので!
というわけで、この記事の内容には、必然的に『イルカとあおぞら』のネタバレを含みます! まだ読んでる途中だよー、ってかたは、できれば読了後にもう一度お越しいただけるといいかな!
また、こちらはあくまでもおまけコンテンツです! 「作中で語られたことがすべてだ!」と受け止めてくださっているかたにとっては蛇足だろうなあ、とも思うので、制作裏話にご興味のあるかただけ読んでいただければと思います。
……だいじょうぶそう?
それでは! 『イルカとあおぞら』、旅路の果てからお届けします!
●食べることは、生きること
まず印象的なのが、ごはん! 『イルカ』制作中は、とにかくおなかがすいてました……出てくる食べもの飲みものが、もう、どれもおいしそうで……!
湊くんの手料理、わたしも食べてみたいなあ、とか思うんですが……るりちゃんに拗ねられちゃいそうですね、やめておきましょう……
それで、書きながら思っていたこと。
るりちゃん、元気がなくなってくると、食への関心がどんどん下がっていくんですよね。作業に熱中しているときも食べるのを億劫がっているようすはあるんですが、そういうのとはちょっと異質な感じがして。
生きる意欲が失せつつあるとき、なにかを口に運ぶの、つらいよね。この感覚は、自分も身に覚えがあるんです。
つらいときは、ほんとにつらいけど。ごはん、食べようね。食べるって、生きることに欠かせない、大切な一部だから。
●「つれてって」
続いて取り上げるのは、海に行っちゃったるりちゃんを、湊くんが呼び戻しにくるシーン。これこそ、『イルカとあおぞら』最大のターニングポイントでしょうか。
あのシーンは……なんというか……書いててめちゃくちゃ怖かったし、なんならぼろっぼろに泣いてました……じつのところ、制作の序盤あたりで概ね書き上がっていたシーンなんですけど……
当初のわたし、あの場面の湊くんが「自分も行く、連れていけ」って言い放つなんて、思ってなかったんです。
タイピングする手があんなに震えたの、はじめてでした。この子たちはここで死んじゃうのかもしれない、って、本気で思って。
結果的には、湊くんの命懸けでの説得が、るりちゃんを引き戻すことになったわけですが……あれは、ほんとに、どこかの言葉ひとつ違ったら、あるいは行動ひとつ違ったら、ふたりとも海の底だったろうな……
正直、いまでも怖いです、あのときのこと思い出すの。
生きることを諦めないでくれて、ほんとにありがとね、ふたりとも。
●工房のおにーさん
それから、今作で印象的な人物について。
わたしがいままで書いてきた作品って、どうにも……こう、わりと肝心な場面でおとなが不在というか……こどもたちが自身の力で乗り越えるしかない、って感じの試練が多かったというか……
言ってしまえば、こどもたちの苦しさに対するおとなの関与が、かなり小さかった、と思うんですよね。『流星の声がきこえる』しかり、『月のあかりと流星と』しかり。
そのへんを踏まえて、『イルカとあおぞら』の物語をあらためて俯瞰してみると、ユウさんってずいぶん異色な人物だよなあ……と思います。
すごく、まっとうなおとな。「星が降るラボラトリ」作品においては、たいへん珍しいタイプの人物です。
あ、ナギさんも「まっとうなおとな」ですね。肝心の、るりちゃんとの相性は微妙なのですが……それから、橙子さんも「まっとうなおとな」枠か。
ユウさんの人柄とか、雰囲気とか、わたしはけっこう気に入っているんです。
書き進めるなかで、このおにーさんが出てきたときの安心感がすごくて。るりちゃんと湊くんのふたりだけじゃどうにも危なっかしいところを、ユウさんがそっと支えてくれてる感じ。頼もしいなあー、って。橙子さんや、あかりちゃんもそうですね。
まずふたりがお互いを救いあう構造があって、足りないところは周囲がフォローしてくれて、みたいな。周りに見守られながら、この子たちも少しずつおとなになっていくんだと思います。
るりちゃんが海に連れ去られそうになるシーンも書きながら泣いてたけど、ユウさんがふたりを諭すところはもっと泣いてました。涙で原稿が見えなくなるくらい。
この物語に、このおにーさんがいてくれて、よかったです。
●みなもにひかる
さて、今作『イルカとあおぞら』は、たびたび述べているとおり、過去作『月のあかりと流星と』『流星の声がきこえる』とつながっている物語です。最近だとドラマの『アンナチュラル』『MIU404』と映画『ラストマイル』で話題になった、「シェアード・ユニバース」というやつですね。それぞれの物語が、ひとつの同じ世界で繰り広げられています。
その象徴のひとつが、『イルカとあおぞら』の終盤にちらりと登場する、「みなも」という名義を使った小学生ちゃん。『月のあかり』通過後のかたには言うまでもなさそうですが、彼女は幼き日の水町夜空ちゃんです。
るりちゃんと夜空ちゃんは、心に抱えている傷のかたちがとてもよく似ています。「大切なひとたちを犠牲にして生き延びてしまったわたしは、しあわせになっていいのか」って。
まず『イルカとあおぞら』という作品自体が、『流星の声がきこえる』で夜空ちゃんを描いたときにあえて深く触れなかったこのテーマと真っ向勝負をする物語でした。ほんとに大変でしたが……
るりちゃんの作品が、似たような傷に苦しむ夜空ちゃんを少し救っていた、という展開に行き着いたときは、わたしもうっかりちょっと泣いちゃいました。自分で書いてる物語ではあるんですが、この子たちに導かれて書いているようなものなので……
るりちゃん、夜空ちゃん。同じ世界に生まれて、接点を得ることができて、よかったね。
にしても、ほんとたくさん泣いた制作でしたねえ。
●余談:水族館に行きました。
るりちゃんは『イルカ』上巻のなかで、「水槽で生きる子たちがしあわせなのか、窮屈じゃないか、と思ってしまって、水族館を素直に楽しめない」という悩みを吐露しています。そんな彼女に向けてあかりちゃんが差し出した言葉が、わたしにとっては、かなり印象的というか……「そういえば相原あかりちゃんって、かなり頭やわらかいし、思考の回転も速いんだったな……」っていうのをあらためて感じた、というか……
この発想の転換がノータイムで出てくるの、すごいなあ、って。この子、ほんと頭いいんだな……って唸ったのを、よく覚えています。
この物語を書ききって数か月後、ひさしぶりに水族館を訪ねる機会がありまして。それで、「ここで生きている子たちは、『見られながら生きていく』んだな」ってことを、すごく強く感じました。眺めていると、積極的にお客さんのほうへ泳いで寄ってくる子もいたりして、それを見たお客さんが嬉しそうに笑っていたりもして。
るりちゃんが述べていた心苦しさを、ようやく、自分のものとして感じることができた、と思います。同時に、あかりちゃんが述べていた意義の重みも。
そして、「綺麗だな」って感じる心の動きもまた、否定する必要はないんだろうな。
かわいい、楽しい、それ以外でもなんでも。わたしたちと同じ世界を生きていく彼らを知って、なにかを思うきっかけになったなら。浮かぶ思いがポジティブなものであれば、なお素敵だな。
みんながみんな、彼らを好きでいなければならないわけではない。どんな気持ちを抱くのも、個人の自由です。そのうえで、好意的な気持ちになれるひとが、少しでも増えたら。そしたら、この世界はもっとやさしくなると思うのです。
さてさて。最後に、次の制作について少し言及して終わろうかな。
今度の作品は、『月のあかり』や『イルカ』にちらっと登場したユイちゃん、杏花ちゃんを含む4人を軸に描く、「音楽」と「感覚」のおはなしになっています!
……なにか別の作品が割り込みで生えてこないかぎりは!
一度は「要らない」って言われた子たちが、「そんなことない」って言えるようになるためのおはなし。
それと同時に、
感覚の違い、言葉の違い、といった隔たりを乗り越えて、「音楽」で互いを、世界をつなぐことに挑む、4人の物語。
あ、もちろんこの作品も星月夜ワールドの一部です。なんなら、集大成かのごとくみんながわらわら出てきてます。まだラフ段階なので、最終稿まで残るかはちょっと断言できないんですが……
どんどん広がる星月夜ワールド、楽しみにお待ちいただければ嬉しいです!
生きようね。
生きて、しあわせになろうね。
それでは、次の物語でお会いしましょうね! 雨谷とうかでした。
またね!
雨谷とうか
@ameya_ayameya
2024/09/25
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