ミスiD2020(3)それは卒業文集
書類審査の結果が3日かけて発表されるって地獄ですね。あと24時間つらい思いをする3500人マイナスn人の女の子、お元気ですか。わたしは元気です。
わたしは卒業文集という文学がものすごく好きです。高校3年のとき、自分が書く参考にと先輩の卒業文集を読んだときに目覚めました。たったの原稿用紙5枚で、そこに人間が表れます。
卒業文集に上手いとか下手とかいうのはありません。もちろん文章の上手い下手というのはあるのだけど、卒業文集自体にはないのです。なぜなら、高校3年間をふまえて原稿用紙5枚埋めればいいだけだから。
きれいごとを書く人もいれば、部活の仲間だけで盛り上がる人もいます。よくわからない教訓のようなものをたれている人もいれば、淡々と3年間を記録している人もいます。そのテーマの選び方に人間が見えます。
驚くべきは、「行事が好きではなかったけれど、見ているのは好きだった」と書いている人がいたこと。わたしは愛おしさを感じました。書けることがない人生なんてないのだと気づきました。たとえ何もなかったとしても、何かある、たとえば行事や部活にいそしんだ人からしてみれば、それは経験できなかった3年間です。読みたいですよね。
わたしは知らない先輩たちの卒業文集を読むのも好きでしたが、知っている先輩の卒業文集を読むのも好きでした。わたしの知らない間にこんなものを書いて卒業していたという、恨みのようなものを感じました。もちろんいい意味です。そこに1行でもわたしがいれば、わたしは嬉しかった。
わたしの卒業文集は、後輩がいつか読んだら、という前提で書きました。おてがみのようなものです。4歳下の妹からは「狂気」と評されました。想いが重かったかな(ここ、笑うところです)。
さて、ミスiDもエントリーシートがありましたね。それは卒業文集と同じかな、と思うのです。
8年目でなんなんですが、ミスiDのエントリーシート、本当にただ読み入ってしまう。
— 小林司 書類選考通知6/12まで (@mosatsu_p) May 27, 2019
女の子の想いのつまったものだからですね。想いはあの文字数にどうにかして凝縮されて届けられる。気持ち悪いくらいに濃厚なはずです。
あのエントリーシートは、もちろんPRしなければいけないものだけど、ミスiDの場合、単なるPRの上手さで通されるものでも、PR要素の多さ、大きさで通されるものでもないような気がしています。というか、そうであってほしい。そういうもので通される人であれば、他でも通用するからミスiDにはならないと思うので。
何かある人もない人も、それを表現するっていうのは最高に愛おしい行為であるはずです。だからきっと、一瞬でも愛されているであろう3500人の想いは、どこかで報われると思います。何年後かもわからないけれど。
(しかし、エントリーシートだけでなくSNSまで見てくれているという話ですから、そこまでして選ばれないというのは絶望ですね。絶望)
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