見出し画像

ミスiD2020(2)Twitterのプロフィールを書けない理由

萩原朔太郎は顔が良い。ついでに詩が上手い。

彼は写真もやるハイカラ野郎だったし、デザインや絵も(上手いかはさておき)描く人だった。彼の写る写真には被写体としての自覚が読める。だから顔が良さそうな写真が残っている。と思う。

詩を書くにも写真に写るにも、他者からどう見られるか、そして、どう魅せるか考えることになる。

ミスiD2020エントリーから1週間。
木染あめはどう見られようとしたか

noteを書いた

まずは、いくつか記事を書いた。
幸いにしてあまりnoteを使っている人がいないので、他を気にしなくて済んだ
毎日更新しようと思った。書きたいことはたくさんある。

noteのダッシュボードの存在に気付いた

ダッシュボードとは、記事のPV数を見られるページである。
とにかく書く」といった考えなしの記事でも、日をあけずに更新していくとある程度読んでもらえるし、何なら「スキ」もされると分かった。
意外だった。
noteを始めたころ、「スキ」されるハードルの高さに驚いた覚えがあるからだ。
あのときも、よく更新していたと思うのだが・・・
長期的なアカウントの運用と短期的な記事の連発、どちらも大事なのだと思う。当たり前なんだよなあ。

noteを書けなくなった

「とにかく書く」さえも書けなくなった。
いや、書いていた。下書きに眠っている。
何となくそれらしい記事も書いたけれど、公開できなくなった。

自意識の超肥大化。いい記事書かなきゃ!ってやつ。下手にPV数を気にするようになってしまった結果。

木染あめはどう見せるのが正解なのか?
少しでも間違えたくないと思ってしまう。

長文ツイートをしてみる

noteに書けないならTwitterに書けば?と思った。

ひたすらミスiDのハッシュタグを付けてつぶやいたけれど、タグから流入した「いいね」はなくて、安心した
インプレッションも「Tinderで評判がよかった写真」の方がはるかに多い。
ウケる。みんなTinder好きすぎない?

写真を載せる

言葉の次は写真を載せてみることにした。

実は別のアカウントでも写真を無言で投稿していた時期がある。
表現方法って何でもいいな、と。

大体、Twitterっていうのは別に、好きにしていればいいんだよね。
謎の動画もあげた。楽しかった

Twitterのプロフィールを書けない

#ミスiD2020 とプロフィールの先頭に書いて、そのあとがずっと書けなかった。

ミスiD関連の誰かに見られたときに、どう見られるか・・・フォローする気になるのはどんな文?木染あめを理解できるのはどんな表現?

考えすぎてめっちゃ病んだ。メンヘラだから。
正解がわからなすぎる。

そしてできたもの。

「#ミスiD2020」が消えている!

以前プロフィールにしていた「精神科に登校する詩人・あめちゃん」っていうの好きだったな。自分で詩人って言うの。詩人だと思えば詩人で良いし、言っているうちに本当になりそうで。

まとめ

書きたいように、やりたいようにすればいいのでは?今まで通りに。っていう話です。その結果がミスiDに適してなかったとしたら、それはもう仕方なくない?

やっぱりやだ〜〜ミスiDの木染あめになるんだ。

わたしはミスiDになって木染あめを実現したいので、なんかしら頑張ってください。今週もよろしく頼みます!あめちゃん。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?