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ちゃんと読んでほしかった

わたしはこのnoteを、ちゃんと読んでもらいたかった。

確かに長い。読みにくい。それはわかる。
だからと言って読まない(読めない)ままに「わからないことを書いている」「傷つけている」と決めつけしないでほしかった。
わからないなら聞いてほしかった。わたしは絶対、丁寧に答えるから。

本当はすごく寂しかった。悲しかった。

タイトルとか、読んだつもりの誰かの言葉が一人歩きして、わたしのnoteは置き去りになってしまった。
仕方ない、と思っていた。
でも、仕方なくなんかなかった。ちゃんと悔しいと、寂しいと言えればよかった。
わたしの言葉は、文章は、愛だ、その愛を、受け取ってもらえないのに、大丈夫のふりをしなければよかった。

わたしは使う言葉を、丁寧に選んでいる。だから、こういう言葉かなって置き換えないでほしい。まずはわたしが使った言葉のままに理解しようとしてほしい。別の言葉にしたらズレてしまうから、その言葉を選んでいるのだから。

わたしは愛を込めてこのnoteを世にいってらっしゃいをした。
それなのに、このnoteがボコボコになっているのを見過ごしてしまった。

わたしは別に平気だ、けれども、わたしのnoteが泣いていたのに気づけなかった。

ごめんね、わたし。ごめんね、わたしの言葉。
悔しかったよね。

わたしはいま、ちゃんと悔しいよ、でもどうすることもできない。
あのnoteの概略版を作ってしまったら、それはわたしのあのnoteの本心ではなくなってしまう。
1行だって欠けてはいけない5000文字なんだ。

書き続けるしかない。伝わるまで書き続けるしか。
いつかあなたが読んでくれるのを信じて。

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