2024年3月20日の日記。『雑然』

※窓の外側を一年以上ぶりに拭き掃除をしてみると、雑巾が真っ黒になった。可視化されない部分なので放置しても問題ないが、気になってしまった以上無視する事が出来ずに綺麗にしていた。
こんな感じで今まで何も思わなかったのに、ある日突然気付いてしまう瞬間があるが、どうやら私は、見て見ぬ振りをする事自体に異常にストレスを感じる体質らしい。

本当なら全部無視したい、たとえ外側の透明が窓も排気ガスで真っ黒になり、下校中の高校生から「あそこの部屋でマジックミラー号の撮影が行われているらしい。」という噂が立ったとしても構わない。
しかし、気になってしまう性分なのでそれは出来ない、いままで普通に暮らしていた部屋が、台所がトイレが急に雑然としている事に気が付いてしまうのだ。
ゴミ屋敷に住んでいる方は、色々な要因が重なった事による状態であると考えているが、それこそ現状に気が付いてしまうと家に集積しているゴミと向き合わなくてはならず、それがストレスになっていると推測している。
「全然違うよ。」と言われれば「分かりました。」で発言を撤回するだけだが、それくらい見て見ぬふりが自分自身にストレスを与えるという事を明言したい。

※家の物置の整頓をしていたが、雪が降ってきたので30分くらいで早々に切り上げた。最初の頃は、どれだけ粗大ごみとして廃棄しても一向に物が減らず途方に暮れた時もあったが、今は終わりが見えてきた。
物事を見通せるのは最後の方にならないと実感として持つ事が難しい。
最初はトライ&エラーを繰り返しつつ、何をどう廃棄するかの段取りを自分なりに確立して、作業を根詰めないように淡々としていた。
そんな事を繰り返していく内に、急に物事の見通しがつくようになった。
体感的に見通しが付くのは作業を8割がたを終わらせた時に感じる。
始めなくては終わる事も出来ない。と書けば当たり前な事なのだが、その当たり前な事が苦手なのが私なのだ。





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