2024年8月11日の日記『割れないカップはファンタジー。』
※カップが割れてしまった。
底面が少し割れるパターンが珍しい、どうせならもっと分かりやすく割れてほしい。
これでは、割れ方が中途半端なので、少し未練が少し残ってしまう。
※カップがこれしかないため、水を飲む時は味噌汁のお椀を使用していたが、その姿がみすぼらしい武将のようで、あまりにも不憫&不便すぎるので新しく購入した。
お茶碗やカップは国産の物を購入していたのだが、商品が繊細なので、洗った際に水きりバットに雑に置いてしまって割ってしまったり、うっかり床に落としては、真っ二つにしている。
立った状態から床に落としても割れないのに、椅子に座って落としたら割れる時があったのは、未だに納得がいかない。
割れる、割れないのジャッジが曖昧すぎる時がある。
そもそも私が落とさなければ良いだけの話なのは、ひとまず置いて欲しい。
100均の方が頑丈さでいえば勝っている部分もあるが、少しでも国内で経済を回せればという思いのあるので、国産のカップを購入している。
※帰宅して1時間の仮眠をしたが、目が覚めたら2時間30分経過していた。
こういう事を繰り返しているので、最近は仮眠を諦めるようになった。
目が覚めた時は、身体が軽くなって体調も戻るのだが、時計を見ると午後10時を過ぎているのを見ると。「夕飯何を食べるべきか。」という新たな問題が出て来る。
夜10時過ぎると、それは夜食の範疇になるので、ラーメンやカレーなどの脂っこい物も控えた方が無難だが、しかし空腹では寝る事もおぼつかない。
その結果、お湯の入った湯豆腐に増えるわかめとお茶漬けの素を入れて、片栗粉でとろみをつけたのと、ご飯と納豆と玉子、それと、もずくを食べた。
玉子を食べなければ、ほぼ修行僧のような献立になったが、これも肥満防止のため、美味しくいただいている。
でも、何で深夜のラーメンや味の濃い物は美味しく感じるのだろうか。
味の濃い物が身体に良くないなんて、何かの冗談だと思う。
濃い味でヘルシーで美味しい物をイメージしたが、世界が食糧難になったディストピアの映画で登場するような、プレートの皿にお玉で無造作に盛られる良く分からない食べ物に行きついた。
『濃い味でヘルシーで美味しい物』なんて存在そのものがファンタジーだった。
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