2023年8月24日の日記。ワールドレコード

いつまで、人間は同じ過ちを繰り返せばいいのだろうか。
いつになったら、風呂掃除の際に、シャワーのホースが自分の方に向いたままで水を出してしまって、ズボンがびしょ濡れになる悲劇を繰り返さなくて済むのだろうか。
爪を切ったばかりで、スーパーの床に小銭を落とした時も悲劇だ。スーパーによっては床に何の取っ掛かりもないと、小銭がホッケーのパックの如く滑り続けていく。これも悲劇だ。

ついでに湯船にお湯を入れる際に、間違って水を入れてしまう悲劇も追加してもらいらたい。
もう沢山だ、こういった悲しみの連鎖は俺で終わらす。

世界陸上が開催されていて、強い日差しにも関わらず先日100メートル走の予選が放送されていた。

こうした短距離の予選を見るたびに「予選を通して何回も走るのだから、最初の予選で全てを出し切っても良いのではないか?」
という事だ。
決勝は何度も走っているのだから、体力的に辛いはずだ。
予選で世界新記録を樹立する事も可能なはず。
後は、記憶に残るか、記録に残るかの違いだ。
予選で100メートル8秒台を叩き出して、決勝で敗退してもメダルは遠のくが、ワールドレコードとして名を刻む事ができる。
予選をみると、ゴールテープ切る途中で速度を落としている選手を見る時がある。
ある選手は横をみながら最後ゴールテープを切っていたが、こういう時にこそ必死に走ってワールドレコードを叩き出せばいいのにと思う。

選手側からすれば、決勝の舞台でワールドレコードを叩き出したいという思いもあるだろうが、そこは、人類の限界を見せて欲しい。
特に短距離走のような、シンプルでありながら人類の可能性を垣間見える競技だからこそ、予選から記録を目指す気概で走れば、8秒台も夢ではないかと期待している。

家族と会話していた時に「何で長さが100メートルで競うのか、80メートル走でも良いだろうに。」と私が言ったら、家族の答えは「人間の指が十本で十進法だから。」との返答だった。
実際はどういう経緯があるか知らないが、納得してしまった。
納得させる言葉は、真実ではないが説得力がある。








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