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SPC的9の音粋 昭和ポップスをJ-PopにしてみたVol.5

こんにちは!いかがお過ごしでしょうか?

「昭和ポップス倶楽部的9の音粋(SPC俱楽部的9の音粋)~アフター~」ということで第5弾です!

昭和ポップス俱楽部については以下より

https://community.camp-fire.jp/projects/view/257393

前回に引き続き「昭和ポップスをJ-POPにしてみた」ということで、お送りしてみました。以下は前回の編集後記。

https://note.com/ametama/n/na5837ee158dd

今回のプレゼンは遡ること22年7月17日深夜。
PSY・Sのプレゼンも終わり、いつものようにYouTubeの旅に出ていた時のこと。夜ヒットR&Nの動画を漁っていると出会ってしまったのが運の尽き?笑
私はこんなつぶやきをしています。

このツイートまさかのサンプラザ中野くんさんにいいねされ、サエキけんぞうさんにリツイートされるとは思わなかったぜ。。。

ということで今回は、出会ってしまったのが運の尽き?
今回はキャンディーズなどのバックバンドを務め、後にスペクトラムを結成した新田一郎さんがプロデューサーを務めたファンクバンド「The TOPS」を中心に、バンドブームの一端から昭和ポップスに80年代洋楽カバーまでを楽しんでいただきたい!!!(by デーモン閣下)

プレゼン資料はこんな感じ

※ちなみにこのプレゼンは8/3にはできてましたのよ。前回のリクエスト回よりも前に(笑)

さてさて、TOPSとはどんなバンドなのか。
今回のプレゼン資料にはこのようにまとめました。

1980年に三井雅弘を中心に京都で結成されたファンクバンドITACHI!!(イタチ)が前身で、京阪神のライブハウスを中心に活躍。
前事務所退社直後に上京。

山際祥子、館野江里子女性ボーカル2名を加え、10名体制のTOPSとして1986年にデビュー(~1991年)

Topsというバンド名は「東京・大阪・パーでんねんスペシャル」の略に由来しているらしい。

TOPSの一曲目はデビューアルバム「ヤ」なものは「ヤ」より、タイトルチューン「「ヤ」なものは「ヤ」」

資料作成後、9月ごろにサブスク解禁されてたようです!!!

デビュー作からめっちゃいいサウンドやないかい!
三井さんのボーカルも素晴らしいぜ。
ちなみに三井さんはYOUTUBEチャンネル持ってますよ~
Smileのカバーめっちゃええやん!

ちなみにデビューアルバムは全作詞が、サエキけんぞうさんです。
PSY・S調べた直後だから驚いちゃったぜ。

さて、プレゼン的にはもっと右に左に振っていかないと満足しない倶楽部メンバーのために、新田さんのお仕事についてご紹介しました。
新田一郎さんといえば、キャンディーズのバックバンドMMPで有名ですが、その前にあいざき進也さんのバックバンドも務めていたりします。
そして、バンド「スペクトラム」を結成!!

新田さん自体は当初渡辺プロダクションに在籍していましたが、スペクトラムとなってからはナベプロでマネージャーとして活躍していた大里洋吉さんが独立した事務所に在籍。その事務所はとある新人アーティストのために作られた事務所でした。
それがこちらの方。

原田真二さんでした。のちに個人事務所を設立する原田さんですが、デビュー3部作は大里さんの事務所に所属時の作品でした。
その事務所というのが、、、、「アミューズ」です!

アミューズといえば、現在上場もしている芸能事務所で、福山雅治さんを筆頭に多くのアーティスト、タレントが所属していますが、設立当初はスペクトラムと原田さんのみの状況でした。
その後、原田さんが退社すると一転ピンチに・・・と思いきや、原田さん退社直後に大里さんが出会ったのが、、、、

サザンオールスターズでした。サザンオールスターズの活躍により、アミューズは現在に至っているわけです。
そして85年新田さんはアミューズからのれん分けの形で「代官山プロダクション」を設立します。

さてさて、かたやTOPSは関西では動員もできるバンドでした。TOPSが所属していたのは、ユニオンシャッフルという事務所で日本を代表するブルースバンド「憂歌団」が所属していました。

TOPSは関西でこの方とつながっていたことがきっかけで、上京と代官山プロダクションへの所属を果たします。

嘉門達夫さんです!もともとすでにアミューズの契約社員として、在籍しサザンオールスターズの営業をしていた嘉門さん(嘉門さんの名前は桑田さんにつけてもらってます)

ここまででようやくおぜん立てができました!
TOPSのサウンドといえば、新田さんプロデュースというところからホーンサウンドが印象的です。
TOPSが注目を浴びたのは洋楽カバーでした!

チェイスのGet It Onを大胆にカバー!!!
山際さんのボーカルもすげええええええ!
ということで、Get It On自体は様々な昭和ポップスにも影響を与えていました。例えばこちらの曲!!!

みんなで一緒に「ひできー!!」

さて、先ほどのTOPSのカバーですが、日本語訳を書いたのは山口のばらさん。皆さんよく知っている方です。こちらのバンドのボーカルですよ!

「山口のばら=サンプラザ中野くん」でした。TOPSは同じく代官山プロダクションに所属していた爆風スランプともつながりが深いバンドでした。
さて、このRunnerですが、当時脱退するベースの江川ほーじんさんに向けて作られていました。

江川ほーじんさんは4年前の交通事故からまだ意識不明時の状態が続いています。8月ごろ作っていたプレゼン台本にはすでに下記の1行を入れていました。

「江川ほーじんさんですが、2018年12月に交通事故に遭い、事故から4年経った今現在もまだ意識が戻っていない状況です。」

その後、昏睡状態からは回復し、まだまだ動けない状況ではあるようですがリハビリをされているようです。

さて、江川脱退後の爆風スランプはベース不在の時期がありました。あのジャガーさんなども助っ人に参加していました。
ここで、助っ人メドレーをプレゼンではお送りしました。

そして、後任に決まったのがバーべQ和佐田氏。
和佐田さんがいたのは、、、

実はTOPSでベースを務めていた和佐田達彦さんがベースとして加入しました。89年TOPはメンバーチェンジを行い、名称も「THE TOPS」となります。この時に初代ボーカル三井さんも脱退し、爆風スランプのマネージャーをしていました。

人間関係がまたすごかったのよ。TOPS!!!!!

さて、最後にTOPSが編曲で参加したアイドルのアルバム曲で放送後記は締めたいと思います。

キョンキョンのHippeis(87年)に参加しています。
ちなみに、このアルバム自体はいろんな人がかかわっているので是非チェックしてみてね。

サウンド・ボーカル・人間模様含めてもっと注目されてよいバンドTOPSいかがでしたでしょうか?
雨玉も勉強不足で、あのツイートをした日に知りました。
メジャーデビューとしての活動期間はたったの5年でしたが、濃いバンドですよね!!!!!!

後期のTOPSもポップでよいぜ!

それでは皆様良いお年を!

平成プロ野球を個人的に振り返るマガジン完結(2019年5月現在)