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エッセイ

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#ひとりごと

コスメには疎いのだけれど

コスメには疎いのだけれど、韓国コスメ専門店ができていたので入ってみた。 韓国ブームって、わりと長く続いているけれど、なにが良さなのだろう。 今では小学生向けファッション雑誌にもおすすめされていたりする。 価格が手頃なのか、同じアジア系の日本人に色味や感性が合いやすいのだろうか。 価格が手頃だとすれば、その生産体制はどうなっているのだろう。 また、若い世代の感性に引っかかるためには、デザイン性や広告の仕方も外せないはずだ。 わからないことは多いけれど、いったん寝かせてみる

明日TSUTAYAやGEOがなくなっても

CDを手に取ってアルバムやシングルを探して回るのは面白い。 Sekai no owariがフレーバーをイメージした曲を作って販売時にキャンドルをつけたり、ゲスの極み乙女がCDではなくバームクーヘンをつけてリリースした話が面白いと思う。 店舗型はどんどん廃れていくけれど、一度バーチャル空間で音楽を楽しんだあとに、また音楽バーやレコ屋みたいな個人商店が、また復活するような気がする。 秘密基地みたいで、近い趣味のひとが集まる場所。 外出がもっと活発になれば、また人は楽しい場所

どこも似ている。

友人がダンスのイベントをやるというので、金沢方面に旅行がてら行ってみたときのこと。 能登というと、ものすごく観光地っぽいイメージがあった。 しかしながら、ホームセンターがあって見慣れた全国規模のスーパーがあって、セブンイレブンやファミリーマートがある。 住宅地の街並みはほとんど自分が住んだことのある街と同じだった。 もちろん家の構造は少し違って、とても雨の日が多い地域だそうで、ほとんどの家にサンルームがある。 そして独り身用の賃貸物件がほとんどないので、当時独身だった友

ワクチンパスポートのデジタル化

飲食店での活用を政府が推進しているというニュースがあった。 近々、導入できるようになるそうだ。 パスポートを提示して接種を証明できるので試してみようと思う。 接種していれば行動の制限が緩くなるのであれば、電子交付などの手続きに何かしら不具合が発生してもいいと思う。  どんどん試して行動範囲を広げたい。

レジゴーを試してみた

街に出てみると、オフィス用品がずらりと並んでいたビルはイオンになっていた。 せっかくなので少し遅ればせながら、レジゴーを試してみた。 iPhoneよりも2まわりくらい大きな端末を片手に店内をまわる。 とりあえずガムとミンティアの商品バーコードをスキャンしてカゴに入れてみた。 トータルの金額もすぐに計算されて、予算を立てて買い物するにはいい、という話は本当だった。 うっかりセルフレジの精算ラインに並んでしまったけれど、スタッフの方がレジゴー専用精算機へ案内してくれた。

音楽を聴かなくなった

9月5日。 久しぶりにiPhoneの音楽アプリを開いたりする。 全く音楽を自分から聴きに行かなくなった。 以前は四六時中聴いていても足りなかったのに、今は新しく曲も買わない。 聴き放題のサブスクは夢のようだと思っていたのに、静けさの方が貴重に感じる時期がある。 焦燥感におそわれているときは、現実逃避の手段として使っていたのだと思う。 今は、そんなに逃げなくても良い環境にいるということかも知れない。

秋を飛び越えて冬へ向かう。

街では半袖を着ているひともいるというのに、 すでにダウンやコートが展示されている。 もはや秋を超えて夏が過ぎると冬になってしまうのだろうか。 きっと無駄な在庫を抱えないためな気がしている。

解のない問いかも?

就活とかいって自己分析だとかエントリーシートを書いたりだとかしたけれど、未だにすらすらは書けそうにない。 掘り下げると自分は何者なのかという問いに答えることなのだけれど、こんなの生涯わからない気もしてくる。 そして考えるのをやめた。

お菓子のジェネリック化?

久しぶりにセブンイレブンに行ってみると、そこで目につくのはレトロなパッケージのお菓子や紙パックのドリンクだ。 後から販売される薬をゾロだとかジェネリック薬といったりして、わりと真似事してるだけだとかいわれりすることもある。 だけど、一時期は国が後押しするくらい価格が下げられる。ジェネリックが売れる理由は、ほぼ価格にある気もする。 それはお菓子にも展開しているのだろうか。 新しいもの、斬新なものは溢れかえって、消費者はモノやサービスを選べなくなってしまった。だから定番の提供

本音が見えない関係性は普通だと思う。

自分より若い世代の本音が見えなくて寂しさを感じる、接し方に距離を感じる、自分を上司として指示を仰ぎにくるひとが多いように感じる。 そんなかつての同僚であり先輩の言葉を聞いて、この悩みには解決策があるのか?と思ってしまった。 なぜなら、本音で話してほしいと願うひとと、部下たちは別の人間で、他人を変えることは不可能に限りなく近いことだと感じたから。 きっと悩みは良い関係性を築けていないという部分なのだろうと今は思うのだけれど、仕事をする上で本音は必要なのだろうか? 口にしな

サッカーの試合予想が羨ましかった

学生のころ、カフェで分厚い参考書を広げている他の学生が隣にいた。 そこに友だちと思しきひとがきて、2人で翌日の試合予想を始めた。具体的な選手名だとかディフェンスは誰で後半でフォアードの交代は誰だろうとか。 内容はさっぱりわからなかったけれど、とにかくウキウキしていたのを10年経った今でも覚えている。 そうやって、楽しみを毎日に散りばめている人は勉強の成績も良かったりする。 わたしは、友だちとテストの出来を話しあっているひとたちの輪には、入らなかった。 それはあまり自分の出来

雨が降ってきて、いつもいくカフェも閉まっていた夜。

車での迎えを頼んでいたひとにちょうど会えて、助かった。 車のフロントガラスに雨粒が集まってきた。 雨はほとんど透明なはずなのに黄色や青や赤が混じる。 雨の音はいい。 一定のテンポのようで軽い音も重い音もかさなっているから飽きない。 子供のころは窓の雫たちが集まって川を流れるのがおもしろかった。二つの雫を追うともっと大きな川になるのに、どうもべつべつの道をたどることが多い。 流体力学とかいう学問があるらしいので、この不思議は説明出来そうだ。理解できそうにないけれど。 漫

案外、生きてる。

仕事を辞めてほどなく2年が過ぎようとしている。 定時で帰れて、自分が出来そうで神経がすり減らなそうな仕事。そんな後ろ向きな気持ちで選んだ仕事もやめて、もう生活していけないかも、と思っていたのはいつのことやら、結局しぶとく生きている。 毎週回転寿司や焼肉も食べるし、牛タン定食を食べたり、カフェで読書なんてしちゃっている。 はよ、働かんかい、という声が自分の内側からは聞こえてくるけれど。 セーフティーネットとはよく出来ていて感謝。 まあ、自分がこれまで働いている間に高いなんて思

誰かのためでなく、自分のためになっていた

noteやブログに書くことは、出来たことやチャレンジしたこと、学んだことを書くように意識はしていた。 よく見るサイトの書き方を真似してみたり、徒然なるままに書いてみたり、自分の思考の整理をする手段としても使っていた。 他人に提供できる有益な情報を書けたら、それはそれはとても価値ある文章なのだけれど、なかなかうまくはいかなかったりする。 それでも、主に運動の記録を振り返ると、自分、よくやってるなあと感心する。 落ち込んでいる日もあっただろうけれど、ただ運動を行った事実だ