7/12 不登校だった時の話

私が不登校だったのは中学生の時です
なんで不登校だったかと聞かれると自分でも(なんでだろう……?)と思います
なった本人がこうなっているのですから、確実な理由というのはないのかもしれません

そもそも、不登校になる人というのはこれという確実な理由はなくて
大体は積み重ねで確実な何かがあった訳では無いのだと思います
だから理由を聞かれても分からないと答える人が多いのかもしれません

私の場合、徐々に不登校になりました
完全に行かなくなったのは夏休みの後です
真夏のあつい1ヶ月をやり過ごして疲れたのでしょうか?夏休みの間に嫌という程のことを経験したせいでしょうか?
今でも分かりません

最初は教室への入室拒否から始まり、
その次は別室登校
そして保健室登校
と言う流れでした
ここでひとつの救いがあったとすれば、その当時の数学の先生が優しかったことです
(担任の先生ではなく)
(むしろ担任の先生は頭がちこちのキモキモオバサンだったので大嫌いでした。)

数学の先生は結構怖くて、声も大きいし…
でも授業はわかりやすいし黒板の文字は綺麗でわかりやすいし丁寧な人なんだなと感じ取れる人でした
入室拒否をしてひまわり学級的なところに逃げ込んだ時に真っ先に来てくれた先生は数学の先生で、色々と優しく解してくれました

他に救いがあったのは保健室の先生です
保健室の先生は優しくて、沢山構ってくれました
だから自ずと悩みもうちあけやすくて助かった記憶があります

まあ結局夏休みの後に行かなくなったのですが……

学校に行かなくなってからは、物置とも言えるくらい狭い部屋と生活を共にするようになりました。
元々私は部屋の片付けが苦手だったのがあってか部屋はゴミだらけで、
ゲームがあったのでそれで色んなゲームをしながらお風呂にも入れず布団の中でYouTubeをむさぼり見る毎日……
部屋から出てはお母さんと喧嘩をしていたような気がします

正直に言うと当時の生活は殆ど覚えていません
退屈な毎日を送っていたせいでしょうか?
毎日のうちに行っていた行為があまりにも少なすぎて記憶に残らなかったのかもしれません
ずっと頭の中で妄想を繰り広げていました。

今思えば、あの時お母さんともう少し話をしていればよかったのにと後悔してしまいます
でもお母さんも私にもう少し寄り添ってくれても良かったのにな。とかも思ったりします
これはお母さんには内緒です

1年が経った頃に私は引っ越すことになりました
引っ越せば全てが綺麗元通りになるかと思っていたからです(母が)
その当時はお母さんのことが嫌いだったし、
今でもその時のお母さんのことを好きかと言われると嫌いです
お母さんの考えと私の考えはあまりにもベクトルが違いすぎて、上辺ではあっているのに本当は全然噛み合ってない
なんてことはよくありました
だから私はお母さんが嫌いでした

ちなみに引っ越しても変わったことといえば部屋が広くなったことくらいでほとんど何も変わりませんでした。
……いや、もうひとつ変わった事があります
それは心療内科に通うようになった事です
今思えばほんとに通うの遅かったよな〜と思います。
しかも通うのは心療内科ではなく精神科で良かったのになとも思います
そしたらもしかしたら驚くべき出来事があって記憶に残ることが起きたかも知れません

ほんとに、通うのが遅かったんです
心療内科の先生は高圧的で過去の栄光に縋っている人でした
だから1時間の診療もとにかくつまらなくて、通ってなにか良くなったことはあるかと聞かれれば何もありませんでした。
もう二度と行きたくないです

そこからもう半年ぐらいがたって私は通信制の学校に通うことになりました
行くには行ってたけど殆ど記憶にないし殆どサボってたのであんまり意味はありませんでした
でも通うことは通っていたので、不登校ではなかったのだと思います

これを書いて伝えたいことはあるか?
と聞かれると
何も。ただ過去を綴りたくて
と答えるでしょう

時間潰しにでも使ってください、あと、読めば読むほど無駄なので何も読まない方がいいです
起承転結の結も起もないですから……

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