別に僕は優しい人ではなくてもいいって話

僕は「はっきり言うタイプ」だとか「辛辣」と言われることも多いが、「優しい」と言われることも多い。
それは紫眼鏡のばあちゃんの影響が大きいって言うのもあるが、情けは人のためならずという言葉が自分の心と脳みそに染みついているからだ。

はっきり言って変な情けはマウントの素だとしか思っていない。
褒めれば褒めるだけ人は調子にのる生き物だからだ。
褒められてるから何でも言っていい、自分は褒められるくらいに他人より上に立っていると勘違いした人間は恐ろしい。自分の世界しか見えなくなってまるで宗教の教祖のように立ち振る舞う。
自分の言ったことが全て、そんな世の中に下手に勘違いした人間に僕は傷つけられてきた。たとえ会社を経営していたりしても、完璧な人間なんていないし、人間は限られた時間しか生きられないのに。

僕は小さな頃から疑問があると聞く子だった。中学生の時に「今先生たちは完璧人間コンテストをやっているんだ!」と高らかに宣言する教師に「完璧な人間ってどういう人間ですか?」と質問して怒らせて成績の評定を下げられたこともある(昔の学校なんて私情が挟まれて成績が決まっていたこともあるんだよと理解していただければありがたい)。
兄が障がい者ということもあってか、「完璧な人間」というものが何かということがわからなかったし説明をしてほしかった。ただ、そんな純粋な気持ちだけの質問さえ「見栄」という私情に葬られた。

全知全能の神、存在するかもしれないが僕の中でそんなものは存在しない。
戦隊モノも特撮も好きだが僕が決める善悪は犯罪かとかモラルとかそういうことが原点にあって、それから逸脱したものが悪ということだけだ。
世界の経済は数人が回しているかもしれない。でも、それよりたくさんの社会の歯車として生きる人間でもいいし、回している数人も不老不死なわけもなく、いつかは衰えて死ぬ。
人は時に間違いを犯す、それでもその後にどうするかですべてが決まる。
僕はそう思っている。

人を咎めてもいい、でも自分はそれをしていないかとか、人にどう見られてるかとかそういう風に見られないとただの虚像の崇拝になる。
結局ブーメランという言葉を好きに使うなら自分にも向けなきゃいけない、そう思って僕は生きてる。
僕は他人と何も変わらない。

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