1杯のインスタントコーヒー
20年以上、パン作りを生業としていることに、はっと気が付く。
パン屋の家に生まれ46年。パン屋になる・・・の?と思いながら、とある修業先のパン屋に放り込まれた。まさか、それが今につながっているなんて、当時の自分には想像もつかなかっただろう。
私は実家ではほとんどパン作りには携わっていなかった。アルバイト程度、ずぶの素人であった。大学時代には、それこそ、すこしやったアルバイトこそファーストフードの飲食店であったが(しかし、あの場は私の接客スキルについて、多大な影響を頂いている)、パンに特に執着するものではなかった。
大学卒業後、いきなり現場に入った。しかも、そこは当時とんでもない販売額をたたき出す、とんでもない店だった。父の通ったパン学校の先生の知り合いのお店らしく、技術が素晴らしいと聞いていた。
何より、店主がとんでもない。入社前、面接と称して、会社に呼ばれて店主と二人っきりで話をした。といっても、店主がなにか言うでもなく、ぽつぽつ質問されることに、一生懸命答えるだけ。結局、緊張しっぱなしでの面接?だった。
入社して、まあ、いろいろ驚くころばかり。完全に職人の世界で、昔ながらの「見て覚えろ」タイプの先輩たち。仕事の段取りがびっちり詰まっていて、一つでも滞ると誰かの機嫌が悪くなる。
もちろん、店主も現場で働いている。パンの事は出来の悪さの愚痴や、有名経営者はこう言っているとか、時々難しいパン技術の話の一部をぼそぼそと。でも、基本的に現場は殺伐としている。
しばらく働いてみると、その原因がわかってきた。店主は孤高のひとで、周りがついていけてないのである。考え方のレベルが違うので、会話がかみ合わないし、そもそも店主の耳に入る話題を振る気づかいもない。いや、できないのだ。しかも、店主はそんな事お構いなく、自身の理想とするパンづくりに邁進するばかり。当時50代半ばだったかな?まだまだアンテナ張って、これまでの知識と技術を駆使して、「そこまでするの?」的なレシピを展開している。
今だからわかるが、そんだけ店主が突っ走って、レベルを周りに合わせてあげずに話をすると、周りはさっぱり店主の意図がわからず、結果である「売り上げ」しか見えてこないのである。製品の良し悪しすら、見えてこないのである。
そんな店主と従業員の関係もあって、ある日、本当にその場が悪い空気に包まれたことがあった。最高に悪い雰囲気。このまま、このお店、ばらばらになっちゃうんかしらん?と、真剣に思ったものである。
幸いなことはただ1つ。私は当事者でなかった。でも、この嫌な空気は私にも嫌なものであった。でも、私にこの空気を変えることが出来るとすれば、朝でもないけどコーヒーをみんなに入れて、とりあえず落ち着いてもらうことだ、と思った。
そのお店は、なぜか朝の仕事がひと段落つくときに、新人がインスントコーヒーを入れるのが習慣になっていて、あの瞬間に、私のできることが、本当にそれくらいだった。
雰囲気の悪い中、コーヒーを店主をはじめ、みんなに入れて、その場はなんとかごまかせたというか、ぶつからずに済んだというか。コーヒーブレイクって大事だなあと思ったものである。
しかし、このとっさのコーヒーブレイクが、それまでは何を言っても答えてくれなかった店主に、何か届いたのだろう。なんとその時から店主から声をかけてもらえるようになったのだ。私自身、ビックリした。1杯のコーヒーで、ここまで変わるものか、と。
今から思うと、新人のペーペーが入れたコーヒーの意図を、店主が汲んでくれたのだと思う。チームワークが大事な現場で、ぎすぎすしても、いいパンなんてできないことを。
孤高の店主は、普通の人間の求めているパン作り(単なる技術としてのパン作り)を目指しているのではなく、その先を目指していた。「人の感動する」パン作り。
しかし、従業員はそうではなかった。ただ、売れるパンの作り方を覚えるため、独立して技術を盗むため、働いているに過ぎなかった。
店主はいつも「人の感動するパン作り」について、従業員に言っていたはずなのだが、伝わっていないのだ。
ペーペーでも、そんなことは第3者にはわかる。関係者内の第3者だからわかったともいえる。
そして、この1杯のインスタントコーヒーが、店主と私の距離を縮めるきっかけの1杯になったと、私は今でも思っている。店主の気持ちを汲んで入れた、あの1杯のコーヒーが、今の私につながっているかもしれない。