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投票率の低下について嘆くべきか? 行政・議会について、市民の求めるコト

 近年、各選挙の投票率が下がっている。

 これに対し、当事者である行政・議会側の理由とは「政治への無関心」を理由にすることが多い。有権者はこう言う。「誰に入れていいかわからない」、と。

 投票率の低下について問題と思うかというと、私はそうは思わない。
 行政・政治家は、本来、生活の「背骨」となる部分を守る仕事である。
 今は、それがある程度機能しているので、それ以上を有権者は求めていない。求めていない有権者は投票も、市政も、選挙も、全く関心事では無いのである。

 核家族化、少子高齢化の影響もあり、投票しなくても、「弱者救済」の名の下で手厚い保護政策が展開されており、それによって「行政の仕事がなされている」という評価がされたり、それを提議した議員について、「頑張っている」と感じられたりする向きもあるが、そこは背骨の部分ではないのである。

 組織に所属する有権者は、もう習慣のように組織として候補者をたて、票を入れる。
 個人の有権者は、知り合いに入れる。また、友人から勧められ他候補に入れる。
 関心のない有権者は、選挙にもいかない。ちなみに、そういう有権者は新聞すらとっていない。

 そもそも、行政の仕事とは何か。
 少し前に、前市庁舎が建造されたときの(昭和40年代)記事を読んだが、こういう一文があった。「この庁舎が建ったことで、人口が15万人に増えても対応できる」と。
 しかし、人口は横ばい。自然増と自然減がそのまま続く。
 合併により、三原市・本郷町・久井町・大和町が「新三原市」となった。人口は10万人を超えた。この時点で、三原市市庁舎は、本庁舎とペアシティ2階に教育委員会。4階に福祉課。建設課は円一庁舎と、分散して設置されていた。人口はたった2万人しか増えていないのに、である。

 この点について、考察するにあたり、行政の仕事とは一体何なんだろう、ということを精査するべきではないだろうか。

 近年、市民税の徴収額の低下が気になっている。要は市民が収入を得ていないまたは定年し年金生活を送っていると考えられる。人口は9万数千人であるが、有権者は18歳まで下がったものの7万数千。少子高齢化の結果である。
 とあるデータでは「少子高齢化対策により、市の民生費がぐんぐん上がっている」と出ている。これは、かつての大手企業が「福利厚生」で担っていた部分を市が受けついているだけのようにも思える。

 さて、そんな中、今の三原市行政で必要なのは、内部では省力化、効率化。対市民に対するインフラ整備の長期計画化(水道・道路・下水・消防防災、文化遺産の保護など、行政でしかできないこと)。それ以外の事は、第3セクターでも、民営化でも、仕事について、仕分けを行い市の負担を減らす「小さな街」へのロードマップを作る必要があるように思う。

 また、同時に、市税を上げる努力も必要であるので「産業」の活性化が大事である。特に昔から言われる「第1次産業」「第2次産業」をいかに似て伸ばしてゆくか。いかに外貨を稼いでゆくか。

第3次産業の「消費型社会」はカネが回っているようで、結局カネが街から出てゆくばかり。だから、どの地方都市も疲弊しているのだ。

 こんな時代に「拡大してきた社会」で育った人たちは、昔の発想しかできない。新たな資源を発掘する観光。集客するイベント。それもいいだろうが、結局それをすることで、三原に他地域から来る人にお金を落としてもらう必要がある。ある意味、はっきりと投資と回収がはっきりしているので、一度区切り、精査したたほうがいいのではないだろうか。

 特に天満市政で「観光」に特化したが、目立てばいいというモノではない。目立った後、来てもらって、カネを落としてもらわなければ、収支は合わないのである。しかも、広告費として、1億円使ったならば、100億円は収入が欲しい所である。

 しかし、私は最終的に三原市は「立派な田舎」を目指すべきであると思う。地理的条件がそろい、交通の便はよいが、ただそれだけ。そんな町は全国にある。
 住んでいる人間が幸せに暮らせ、インフラが整い、可処分所得もあり、三原から出ていった都会暮らしの人たちが、三原に帰ってくるために生活できるための給与のある仕事があり、安全に子育てができ、この街で骨を埋める。

 さて、そうなるために、行政も、議会も、市民も、どうすればいいのか、少し考えればベクトルが統一されるはずである。
 そういう街が、「誇るべき故郷」となるべきではないだろうか。