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世代間トラウマ

英語でいうとGenerational Traumaというのだが、これがなく全て順調で幸せな家族なんてありえないのではないだろうか?

ただ自身が持つ生きづらさが、世代間トラウマから来ていると自認する人は少ないだろう。よっぽどメンタルヘルスに関心をもち、関連記事や本を読み、自身を照らし合わせてみない限り気づかない。

かつて私自身もそうだった。
どうしてこんなに自分はダメなんだろうか?
どうしてこんなに努力しても成功しないのだろうか?
どうしてこんなに自分は醜いのだろうか?
どうしてこんなに自分は人と違うのだろうか?

こんな自己肯定感が低い自分にずいぶん悩まされ、その答えをずっと探していた20代だった。

30代半ば頃に、双子が生まれ過酷な育児に精神を病んだ。いわゆる産鬱にかかり、やっとメンタルヘルスの書籍や記事を読み始めたのだ。少しずつ毒親という病を知り、そのメカニズムも理解しはじめた。そして、アダルトチルドレンという言葉にも出会い、自分がアダルトチルドレンという事を認識しはじめる。

毒親はまさに世代間トラウマである。私の親はもちろん彼らの親世代も、過酷な時代を経験し、生きるために自己犠牲を払い、しつけと称して子を罵りコントロールする事が普通であった。それが世間一般の育児方法であったのだから、今となっては仕方がないことだ。

社会がそうだったのだから、私の親世代の多くが、毒親の要素を親世代から受け継いでいる。しかし、この受け継ぐ毒親要素の程度が、人それぞれではあるのは確かだ。なぜなら、毒親要素もアルコール依存症やあらゆる精神疾患の症状と同様に、明確な境界線がないからだ。

世代を超え家族内で、誰かが病んでいるのであれば、おそらく毒親による世代間トラウマが影響してる可能性が大きい。親戚内で諍いが多かったり、親子の問題があったりというのは、たいてい世代間トラウマが原因であると思う。これは日本だけの話ではない。アメリカでも同じ事が言えるのだ。

夫の両親は、ヨーロッパからの移民の子孫である。しかし彼らの親世代は、大恐慌(1929年)を経験した人たちだ。よって、私の両親が培ったメンタリティに似たものを、彼らは親から受け継いでいる。

男は一家の働き手で、女は家庭に入るといった家父長制度も引き継いだとはいえ、ウーマンリブ運動(1960年代にアメリカから始まった女性解放運動)の時代を経験しているので、複雑な心境の中で生きた女性が多い。

義母もその一人で、典型的な家父長家庭で育った。しかし両親は不仲で、母親は高等教育を受けたいのに受けれない事を愚痴り、夫の不貞に耐えながら一生を終えた人だ。

義母は、そんな母の願いを体現するかのように、高等教育を受け教師になる。第一ウーマンリブ運動最中の時代だった20代に、故郷を一人で出て独立しようと試みるが、義父に出会ってしまう。結局彼女の意思と反して、職業軍人だった夫の仕事柄、彼の軸に合わせながら生きるしかなかった。

私は、彼女と時間を共に過ごす度に、そんな彼女の複雑な心境を感じ取っていた。一人アメリカにやってきた私と、かつて一人故郷を捨て他州へ引っ越した若き自分を重ね、共感を込めながら彼女が語ったことさえあった。

4月中旬に、私のところへ乗り込んで来て、感情的にぶつかって来た時、彼女は、自身の苦悩も吐露して来たのだ。

夫(私の義父)が末期癌であるのに、感情もあらわにせず淡々と治療してる事。
夫(私の義父)がベトナム戦争について口をつぐみ、自分の殻に閉じこもっている事。
彼女の両親がもたらした家庭崩壊に深く傷ついた事。

教師をしてたという職業柄、彼女は子供への正義感が人一倍ある人だ。なぜなら家庭崩壊で傷ついた子供達をたくさん目にしてきたからだ。そして、彼女の妹も離婚をし、家庭崩壊をもたらしたのを酷く批判していた。

だから彼女は、私の行動が家庭を崩壊し、子供達が傷つくのではと恐れているのだ。つまり恐怖のあまり、リスペクトすべき境界線を超え、私を責めてきたのだった。

しかし、彼女の言動と行動は、彼女が自身のトラウマを処理し切れてない事を意味する。夫に満たされてないにも関わらず、ポジティブ思考を行使し、家族のためといい自己犠牲を払い、子供(つまり私の夫)へ共依存する義母。これは、自身のトラウマと向き合っていないとしか思えない。

自分を後回しにする自己犠牲と共依存は、見事に夫に受け継いでいる。そして、私もモラハラ父とそれに耐えた母を見て、耐えることが家庭であると無意識に教わった。

でも私はそれを断ち切りたい。この世代間トラウマを私の世代で終わらせたいのだ。

だから、毒親要素を持つ自分と、毎日向き合うようにしている。毒親的な言動をしてしまう自分に気づくことが一番大切だ。子供達に対して感情のまま反応しないように、自分を宥めることが先だ。

自分が幸せであれば、我が子に依存しコントロールする必要はない。
自分が幸せであれば、なにか物質的なものに依存する必要もない。
自分が幸せであれば、我が子も幸せになれるのだ。

悲しみも寂しさも怒りもちゃんと向き合い、自分をそっと優しく抱きしめてあげる。そして認めてあげる。それが自分を満たすこと、幸せにする事なのだと思う。

それに気づかない夫も義母も、ある意味可哀想な人たちだ。自己犠牲はセルフネグレクトだ。セルフネグレクトは不幸しか生まない。早く彼らがその負の連鎖に気づくことを願わずにいられない。

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