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ただ聞いて欲しかった

最近、子供達が本当に優しい。そして、よく話しかけてくる。

娘はまだ甘えたい盛りなので、その通りではあるのだが、ティーンになった息子達がよく語りかけてくる。

特に次男は、夏休み中に料理に目覚めたので、私が仕事の時は夕飯を作ってくれる事が増えた。さらに私が夕飯の支度をしてる時にも手伝ってくれる。そして、いろいろ語ってくれるのだ。

学校のこと、友達のこと、今ハマってるランニングのこと、そして社会情勢のニュースなどなど、とにかく色々話をしてくれる。

長男の場合、もともと話したがりだったので彼らしいのだが、次男の場合はそんなに話す方ではなかった。でも最近の彼は、私との繋がりを求めてるかのように、よく話をしてくれる。

彼は、私に似て感受性が高い。屁理屈が多く、相手をいじる癖がある長男とは対照的で、冗談も間に受けよくいじる長男に憤慨しては喧嘩をする。でも彼は感受性が強いからこそ優しい子だ。他人にも妹にも私にも優しい。だから友人も多い。

彼が語る時、とにかく延々に語る。私は、へ〜すごいね、そうだね、なるほど〜と言ったように、ただ頷きながら聞いてあげてる。去年までの私だったら、ただ聞いてるだけじゃなく、余計なアドバイスもしてただろう。

でもそれによって、子供達が嫌がり、反発的な態度になり、最悪の場合は口論に発展したこともあった。だからそれはもう辞めた。親のアドバイスは、彼らが訊いて来た時にしか意味はない。そもそも、ティーンはそんなものを求めてないのだ。

ただ話を聞くことだけに集中するようにしたら、彼らとの関係が変わった。穏やかに聞いてあげて、頷き、大丈夫!と言ってあげる。それは、心理学界の英用語で言うと、validationというものだろう。つまり認めてあげることだ。

私も夫にそうしてもらいたかったのだ。決めつけられたり、批判されたり、訊いてもいないアドバイスを貰いたいわけではなかった。

ただ話を聞いて、大丈夫!って言って欲しかった。悲しい時は、ただ抱きしめて欲しかった。

人間というのは、生まれた時に母親に抱かれて、未知の世界に踏み出す。肌と肌がふれあい、愛の言葉を交わされ、精神的に安心することが、生きるの源でもあると思う。それが人間が最低限必要としてるものだ。

しかし、それがなくなったらどうだろう。空虚感しか残らない。

それが今の私たちだ。子供達の存在しか、前に進める原動力がない。

本当はもっと話をして欲しかった。彼の悲しみや苦しさをもっと話してもらいたかった。私の前で泣きじゃくっても欲しかった。弱さをもっとさらけ出して欲しかった。

でも彼は、感情を押し殺しお酒に走った。孤独は、周りにも孤独を生み出す。誰も入り込めない壁を作り、自分の世界に閉じこもる人を、誰も変えられないのだ。

孤独な人と住む限り、私は孤独のままだ。だから自分自身の幸せのために、独立をする。この気持ちは決して変わらない。

息子がふとこんな事を言った。「僕は今人生で一番満たされてる」と。そして、私に訊いてきた。「お母さんはどう?」

だから私はこう答えた。「今は満たされてない。フルタイムで仕事を見つけてお金を稼ぐようになったら満たされるかな。」と。

そしたら、彼が「どうしてお金を稼ぐ必要があるのか?」と訊いて来たので、「自分の稼いだお金であなた達に何かを与え幸せしたい」と答えた。

「僕はなにもいらないよ。僕らのためにお金を稼ぐより、お母さんがお家にいることの方がいいな。」と彼が言うので、「じゃあ、お母さんは自分の幸せのためにお金を稼ぐね。そしたらどう?」と答えた。

そこで彼が話して来た。

「お母さんが家にいないのは寂しいけど、お母さんが幸せになれるならそれでいいよ。」と。

この彼の言葉が、今日も追い風になる。また目標に向かって前に進んで行けるのだ。


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