映画「ドリーム・ホース」を見てきた

先日、映画「ドリーム・ホース」を見てきた。一口馬主カテゴリの映画なので(一口馬主カテゴリの映画ではありません)、できるだけネタバレに配慮した上でこのnoteに感想を書いておく。

https://cinerack.jp/dream/

ウェールズの田舎の小さな村で、登場人物たちがお金を出し合って共有した競走馬が、さまざまな障害を乗り越えてドリームを掴んでいくというストーリー。競走馬を共有して夢を追うというのは、まんま我々一口馬主のやっていることで、一口仲間などから早く見に行こうドリーム・ホースというプレッシャーを受けていた。

総合的に本当に良い映画だった。共有する仲間たちが集まって(集まるまでも描写があって良い)、バスで競馬場まで大騒ぎしながら移動して、競馬場で皆で見て共に勝利を喜び合う。なんと素晴らしいことか。

儲けではなく、「胸の高鳴り(ウェールズ語でホウィル)」を求めて結成した。変化のない日常の中でワクワクするものがあることは、人生を諦めかけていた大人たちにとって、プライスレスな生き甲斐となっていく。

https://cinerack.jp/dream/

そう。普段の生活で、行き詰まりや生きづらさ、閉塞感やどうにもならなさを感じていたとしても、馬に夢を乗せよう。一口出資では1/500でも、1/2000でも、変化のない日常に馬が勝手に「ホウィル」と本当の意味での「優勝」をもたらしてくれることだろう。
一口馬主伝道のための超良映画なので、各クラブは割引券を会員に配ってでも見に行って沼に深く落とそう。

さて、本質から少し離れて、ドリーム・ホースの良かった部分をつらつらと。

ウェールズの田舎の風景が魅力的だった

ブリテン島とかアイルランド島の田舎の風景がとても好きなので、村の風景やバス移動のシーンで作中ずっと目にすることができて楽しかった。日本の田舎・僻地はどうしても山や田畑の風景になりがちなので、ファンタジー世界の異国の地のようなドリーム・ホースの舞台は本当に魅力的だった。
ブリテン島やアイルランド島の田舎は良い。北海道にも魅力はあるが、田舎の風景はあっちに限る。

レース映像のカメラワークが良かった

日本のレース映像や写真は、どうしても公正保持や人馬の安全のために引きの構図でつまらないものになりがち。対して競馬の本家イギリスのレース映像や写真は、攻めてカッコイイものがバシバシ出てくる。たとえば、イギリスのジャンプレースで常套のカメラワークといえば柵に仕込んだカメラで馬が飛び越えていく姿を撮影するというものがあるのだが、もちろん作中でもそれをやってくれている。あの画は絶対かっこいい。
クレジットを確認すれば良かったのだが、イギリスのレース映像制作会社も映画撮影に協力しているのだろうか。
ドローンで撮影したり、蹄だけの画もあったり、ヘルメットにつけたアクションカメラがあったりと、とにかくレースシーンがとてもエキサイティングに撮影されている。「シービスケット」の時もレースシーンだけで価値があったが、それからさらに20年で映像技術は更に進化しているので、これはぜひとも劇場でその迫力を味わっていただきたい。

Incredible! and Miraculous!

incredible:信じられないという意味の単語
miraculous:奇跡的という意味の単語

「子供の運動会の代替品」と言われても気にするな

「ドリーム・ホース」見終わって思い出したのが↑のツイート。
紐解くと「子供の運動会の代替品」であることはある程度は的を射ていて、その言説を持て囃すな、ついでにそういう揶揄をするのが気持ち悪いという主張で、最初から最後までちょっと理解できなかったツイート。
まず「子供の運動会の代替品」であることはウマ娘に限らず、競馬そのものが推しの無事と活躍を願う「子供の運動会の代替品」であり、一口に限らず馬主なんてそのものズバリの行為である。もっと言えば、それをやってるのは「独身男性」だけではなく、まさに本作「ドリーム・ホース」では既婚の女性が言い出しっぺの主役であり、ホウィルをパートナーたちと求めて活動を始めたのである。
さらに言うと「子供の運動会の代替品」なんてものは競馬にすら限らない。好きな野球選手でもいいし、アイドルでもいいし、相撲のタニマチだってそうだ。競技という文脈にこだわるのであれば、アイドルなんかはちょっと違うかもしれないが。
そうやって、他人や馬の人生に自分の人生の一部、お金や労力なんかを勝手に乗せて、ホウィル(胸の高鳴り)を求めていって何が悪い。スマートフォンから投票した100円の単勝馬券を握りしめて、テレビの前で懸命に差せ!そのまま!と叫ぶ、その集合体が競馬という営みなのである。独身男性も、既婚の男性も、独身女性も、既婚女性も、競馬は誰でもウェルカムなので、ぜひとも子供の運動会を見るつもりでも良いので参加していただきたい。

自己肯定感の薄い人にこそ見てほしい「ドリーム・ホース」と競馬

この作品の何が凄いって、ドリームアライアンス号の関係者は「別に特に何も凄いことしてない普通の人々」なところ。もちろん、牝馬を観光牧場から買ってきてドリームアライアンス号を生産して世に送り出した主人公ジャンの熱意は大したものだが、特別な才能があったから成功したという描写はないのである(熱心に血統などを調べ上げるという場面はあったが)。
調教師の元に馬を送り出してからは、あとはほぼ「運動会」とは関わりのないところで話が進んでいく。(危機の時の意思決定、くらいか)
そう、馬はお金を出して放置しているだけで勝手に「優勝」してくれるのである。馬券を買うのにも、一口出資するのにも、どちらにも特別な才能はいらない。変化のない日常の中でワクワクするものを求める行為に、才能も能力も、自分が自分をどう思っているのかも、すべて関係ないのだ。「ドリーム・ホース」では共有する仲間と共に楽しんでいたが、そんなものすら必要ない。競馬場に、場外馬券売り場に、テレビを通して見る映像に、あなたと共に苦楽を共にする「同担」は必ずいる。

ドリームアライランスの快進撃は、彼らに再びチャンスとチャレンジをもたらし、人生が輝き始める。

そう、作中の彼女らは特別なことは何もしていないけれど、勝手に人生が輝き始めるのである。
さあ、何もしていないけれど「優勝」をしに行こう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?