モヤモヤ晴らしちゃおう

突然がみなさん、こんな話を聞いたことはありませんか?

ある日、ある夫婦の元に電話がかかってきます。
相手は、戦争に行ったっきりずっと連絡が取れてなかった一人息子でした。
久しぶりに息子の声を聞き、夫婦は大喜び。
父親は息子に訪ねます。
「戦争は終わったのか。お前はなにか怪我はしなかったのか。」
息子は、戦争が落ち着いたこと、自分は対して怪我をしなかったことを伝えます。
また、もうすぐ家に帰ってまた一緒に暮らせることも話しました。
夫婦はまたもや大喜び。
息子は、2人に、戦争中に仲良くなった友達も一緒に暮らしていいかを訪ねます。
夫婦は、もちろん!と上機嫌にこたえます。
しかし、息子によると、その友達は戦争中に大怪我をして腕と足を失ってしまったという。
夫婦は悩みます。
そして息子に、家族との時間を最も大切にしたいと、友達の受け入れを断ります。
息子は、しばらく黙り込み、短く返事をして電話を切ります。
後日、夫婦の元に病院から、息子が自ら命を絶ったという報告が来ます。
実は、息子には友達などおらず、腕と足を失ったのは息子自身であって、両親が自分の怪我のことを正直にどう考えるのか聞き出すために嘘をついていたとわかります。
夫婦は自分たちの発言をひどく後悔し、話は終わります。

胸糞悪いですね。

かなり有名な意味怖(意味がわかると怖い話)だと思います。

しかし、この話

すごく納得いかない。

夫婦は最後友達を受け入れなかったことを悔やんでいますが、私は別に間違った選択ではないと思います。

正直に言いますと

息子っっっっ、、、!!そりゃあ違ぇだろ

って感じです。

息子は、この夫婦にとって、自分の命も友達の命も平等だと勘違いしてる。

命は平等じゃねぇんだよ!

大事なことなので1回しか言いません。

私の予想ですが、仮にこの息子が正直に怪我のことを打ち明けていても、夫婦は喜んで迎えて介抱したと思います。

ですが、友達という設定にしてしまったせいで、夫婦にとっての受け入れの難易度が上がってしまったのです。


息子にどんな状況であっても生きていて欲しいと願う親は沢山いると思います。しかし、この世の人間は赤の他人のためにそう必死にはなれません。
いくら息子が仲がいいといっても、夫婦からしたら会ったこともない子どもの世話に時間が奪われるよりも息子との時間を優先したいのは当然のはずです。

怪我をしていたのが息子であれば、世話をしている時間も息子と一緒にいる時間と変わりないので、夫婦にとっての価値が変わってきます。

息子はそこら辺わかってなかったんだよなぁ。

命は平等じゃねぇんだよ!

騙されましたね。2回です。

夫婦から息子への愛が足りなかったのか。
逆に強すぎたのか。
息子から両親への信頼が足りなかったのか。
作者の親子に対する解像度が低かったのか。

いずれにしても悲しいです。




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