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しっかり生きよう

先日、写真家 幡野広志さんの写真を見に行ってきた。

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本日でおしまいだ。
楽しかったなぁ。ちょっと買い物するとすぐ
割引券くれるんだよなぁ。

沢山の写真に幡野さん直筆のコメントにくすっと笑えたりする。
ずっと海と船の写真を見てると、不思議と船に揺られている気がするし
なんだか港でひとを待つような気さえしてきた。


この写真展行く前に、地下でカレー食べてたときに
三浦春馬さんが亡くなったとニュースが飛び込んできたんだった。
びっくりした。

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幡野さんがいくつかブログを書いていて
わたしはCAKESのブログを読んで
たまに・・
はっとしたり
ドキッとしたりする。

例えば・・

みんなさ、幸せになってくれたほうが楽なんだよね

で・・

明日死ぬかもしれないなんて思わないほうがいいって書いている。

フツー明日死ぬかもしれないから今日思いきり生きようっていうよね?って。

” 病気になってからすげえ言われたの。「明日死ぬと思って一生懸命生きなよ」って、健康なやつに。バカじゃねえのと思いながら聞いてたんだけど。結局、明日も生きてると思うから今日も平和で生きていられるのであって、本当に明日死ぬと思ったらさ、パニックじゃん。だから明日も生きてるって思ったほうがいいよね。”

確かその前は
「神様は乗り越えられない試練は与えないって言いだす人」

”この言葉はね、そもそもぼくがガンになった時に周りからすごい言われたの。神様は乗り越えられない試練は与えないって。馬鹿のひとつ覚えみたいにすげえ言われたの、キリスト教徒でもねえやつに。何回ひっぱたいてやろうかなって思ったけど、すごいくだらないよね。でもひとってそれだけ言いがちなんだよね。”

元の記事はこちら

この記事で相談者のお兄さんが殺されてしまった人の話が出てきて
親御さんは物凄くずっと苦しんでる・・
「自分の子どもが殺されて、犯人を許せる親はいないんじゃないかな。あなたに対しても犯人を許せなんてことは誰もいえないですよ、神さまは乗り越えられない試練は与えないっていいだす人がいたら、頬をおもいっきりひっぱたいてやりましょう、きっと反対の頬を差し出してきませんから。人の本音ってそういうものです。」

さてつまり、この二つは
言いがちな言葉。

で‥うなったよね。

ああああって。人に寄り添うって難しいね。
それは私たちがある程度の寿命をもって生きてるからだ。

あのね。わたしが昔、人様の相談に乗ってた時に
いっつも思ってたことがあって。
人って、本当に言いたいことを最後に持ってくるの。

例えばね、ずっとずっと旦那さんの浮気の相談してて
話聞いてるとね
最後に
「実は私も・・」っていうのね。
だいたいそうだった。

つまり、本当に相談したいことって
そっちなんだよね。
そうなんだよね。

慣れてくると大体わかっちゃうから
あ、違うなって思うんだけど。

わたしは平和主義だから・・
墓場までその秘密持ってく気持ちがあれば
貫けば?って思うのね。
ぐちゃぐちゃになってドロドロになって
それでも良ければそうすれば?って。

そうそう。幡野さんもいってた。不倫してる人が決まって
「相手には大切な家族があるから」っていうけど
本当に大切な人に大切ってつかわないよね?
大切ってほんとは邪魔って意味だよねって。

そうやって読んでいくと
たぶん、幡野さんは・・
人が気持ちの中にくぐもらせておきたいこと
を最初に陽の当たる場所に出せる人だと思う。

人がうまく見せたいとかごまかしたいとか
思うずるい気持ちを
ドラキュラが陽にあたるとギャーって言っちゃうような。

幡野さんは相談者に回答するときに
自分の子供が相談してきたらどうやって答えるかって考えてるんだって。

なるほど。なるほど。

相談者は一番の本音を最後に言いたいために
その手前にはたくさんの言い訳を乗せてくる。
そこを容赦しないんだな。いい意味でもね。

私たちはいつか死を迎えるけど
そのいつがわかってない。
明日かもしれないし、来年かもしれないし
ずっと先かもしれないけど
でも、過去ではないはずだ。

だから、みんな、幸せになってくれたほうが楽って
明日死んじゃうかもしれないから頑張るじゃなくて
無理して生きなくてもいいじゃんって。

みんな心の底では思ってると・・私は思う。

もし自分の命に期限があるとしたら
どう生きるのかだなんて
それはその時考えればいいと思う。

私たちはやっぱり
幸せに生きる。。に尽きる。
心地よく気持ちよくね。







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