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居ないということ[飯野賢治氏について]

子供の頃に少なからず影響を受けた人が亡くなるという出来事は、なんかじんわりとした破壊力があるなぁと思う。

人生で2度目にそれを体感したのはゲームクリエイターの飯野賢治さんが急逝した時。物理的には出会ってなくても、ゲームを通してその作品に会っていたから。

周りがスーファミやプレステを選ぶ中、『エネミーゼロ』をやりたいがためにセガサターンを選び、『D2』をやりたいがためにドリームキャストを選び。『風のリグレット』のテーマ音楽が好きすぎて、頑張って耳コピしたりしていたあの頃。

壁を壊したい人たち

なにか新しいことをしたい、ゲーム業界の既成概念をぶち破りたい、という意志がインタビューからも作品からも行動からも明確に伝わってきたクリエイターのひとりだった。
手垢のついた言葉でいうなら「異端児ゆえのカリスマ」的な扱いをメディアからもファンからも受けていたように思える。

D2発売前には、アート好きとか個性派デザイナーとかが読みそうなサブカル雑誌(偏見)にこんなイベント告知広告まで巻頭見開きでバーンと載っていた。今になって考えるとゲーム売りたいにしてはニッチなターゲット層も狙っているので、ゲーマーに消費されることが第一の目的ではなさそうなことが窺える。

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新しい過去と懐かしい未来

新しい作品に古い作品の片鱗を感じることも珍しくない。なんとなく、デスストランディングでエネミーゼロの感覚を思い出し、バイオハザード7でD2の感覚を思い出す。

飯野さんのゲームもハードも今は手元に無いので、『エネミーゼロ』の音楽をどうしてもマイケル・ナイマンに作って欲しくてしつこく頼み込んでやっとOKしてもらったという曲たちを久々に弾いてみた。

音楽と記憶はとくに強く結びついているようで、一気に懐かしい気持ちに。
これが、居なくても作品と思いは生き続けるってやつなのかも。

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急逝当時から残っている記事

飯野賢治監督作品「風のリグレット」の脚本


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