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雨の記憶ーきろくー

はじまり。
私が19歳の頃、大好きな祖母が天国へ。
料理が好きで、旅をすることが好きで、
写真を撮ることが好きだった祖母。
あまりに早いお迎えに
しばらく受け入れることができなくて
毎日毎日泣いては沈んでを繰り返してたな。

私が高校を卒業した3月、
春休みのあいだに一人旅をしたいなぁと思って
隣県にある単線の電車旅をしようとしたら
祖母も一緒に行きたいと初めての二人旅。
2時間に1本の電車に乗って
駅で降りてのんびり散歩して
帰りは地元にある行きつけの居酒屋さんで
ご飯を食べて帰ったっけ。
私のスマホでたくさん写真を撮ったんだ。
高校3年間のすべてが詰まってた。
家族との写真はもちろん、
祖母と二人で見に行った藤の花も。
祖母はお花が大好きでお庭でいろいろ育てたり
毎年のように桜や藤の花を見に行ったり、
母がプレゼントにお花を贈ると凄く喜んだり。
でもある日私のスマホが壊れて
写真のデータも全部取り出せなくなって、
祖母との思い出は全部そこに仕舞われたまま
新たな記憶を残す間もなく行ってしまって。

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もっと一緒に生きたかった。
たくさんの景色を見たかった。
大好きなおばあちゃんの味を教えて欲しかった。
旅に連れて行ってあげたかった。
留学先でこんなことあったよって話したかった。
初めてのお給料でお花をプレゼントしたかった。
ひとり暮らしのお家に遊びに来てほしかった。

後悔ばかりが押し寄せて涙が溢れるばかりで
わたしの時間はそこでずっと止まってしまって
気を緩めるとすぐ涙が出てきて。。
そんなとき何を思ったのか
家電量販店に行って一眼レフを購入。
私の生きる世界を写真として残したら
夏の空、秋の草花、旅先での一枚...
そんな景色を見せてあげられるかな、
私が生きてる間にたくさんのものを
共有できるかなとか思って撮り始めたっけ。
はじまりは綺麗なものを撮りたかったのでも
趣味にしたかったわけでもなくて
私から祖母へ生きている記録を
残したかった、ただそれだけ。
でもそれだけ。
がそれだけじゃなくなっていった。

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旅先での温かな出会いや美しい景色、
好きなものを残していく中で冷え切った心が
ほぐれていくような感覚になった。
ずっとあの頃から止まったままで
過去に生きている自覚はあったから、
残す写真がもう2度と同じものを
写せないのと同じように
生きる今を、この瞬間を大切にしていきたいなと
そう思えたことが嬉しかったのを覚えてる。

Twitterを始めてたくさんの写真に触れる中で
それぞれ自分の好きなものを残して
それぞれ良いと思うものを写して
同じ場所や同じ花なのに
冷たさも温かさも光も影もどれもが違って、
違うのに一つひとつが美しく見えて、
その人の感情に写真を通して
触れることができて、それが私には
一つのメッセージのように聞こえたんだ。
「そうやって生きていいんだよ。
何にも縛られることなく生きてる今を
自分が良いと感じるままに
自由にしていいんだよ。」って。
写真の「綺麗なもの」って人それぞれ
感じ方が違うのと同じように、
これからも自分にとって大切な時間や
場所を残していけたらいいな。
私が良いと思うものを
大切にして生きられたらいいな。

そんなことを思ったりしながら
この冬にカメラを買い替えまして。
一つの区切りと始まりという意味も込めて
念願のFujifilmを。
これからどうぞよろしくね。



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