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お好み焼きを作るとき叩きすぎる人

作ってくれるのはとても有り難いことです、リーダーシップがある人なのだなと思う瞬間です。

ペシペシペシペシペシペシお好み焼きを叩くのでなければね。

優しく叩くのならば構いません、しかしそうではない。
彼らのそれは決して慈愛の心から生まれる優しいものではない。

他者に不快感を与える、どこか侮蔑的な手首の使い方をしているのが見てとれる。
磔にした敵国の捕虜の自尊心を汚すためだけに頬を悪戯に往復ビンタする下級兵士と全く同じ。

それに対してお好み焼きは何ひとつ文句も言いません。叩かれて硬くなって不味くなるだけです。

言葉も発せぬ炭水化物の塊をいいことに、雑談の傍ら自身の些細なストレスの解消の方法としてペシペシするのは、人としてはどうなんでしょうか。
私に被害はありません。が、だから別にいいやとも思えません。

魂を汚されたお好み焼きを、これから私が食べるのですから。

それがたった15分ほどで目の前から胃の中へと消えていってしまう食べ物という存在だったとして、ならば上等に扱って食べてあげるのが良識というものではないですか。

褒め言葉を与えたものと罵詈雑言を浴びせたものでは味が変わるということをよく聞きますが、それは食べ物が変わったのでなくその様子を見た私たちがどう思ったかという、こちらの心境の問題なのです。

しかし作り手のお好み奉行はどうでしょう。
俺が作ったんだから美味いに違いない、という思い上がりを持つ者が奉行を自称するのですから、内省どころか誇りさえ持ってペシペシと叩いているのです。
その自慢のリーダーシップの実とは、仲間には優しいがそれ以外のものには無関心という、極めて冷徹な人間像の呼び方なのかもしれません。

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