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ご飯のよそいかた

むかし会社の近くの和食屋に昼食をとりによく行っていた。
家族経営のアットホームなお店。

客席から見える厨房では、40歳ぐらいの若大将が焼きや揚げなどのメインの調理をしている。その奥さんと母親らしき女性2人が注文取りと配膳。
先代なのか父親と思われるオッちゃんはずっとご飯をよそっていた。

料理はなんでも美味しい。
魚のつみれはものすごくふわふわ、サバの塩焼きは骨もないし丸ごとぜんぶ食べられる。
刺身のツマは手で切られていて手間がかかっている。
それなのに定食は850円ぐらいで食べられた。
そうやってこのお店ではいろいろと美味しいものを食べさせてもらった。

そのなかでもいちばん感動したのはご飯、白米が美味しいことだった。
料理もこだわっているようだから、もちろんお米にもこだわっているのだろうと思う、とても美味しい。

でも美味しいのはお米の品種が良いものだからというわけではないんです。

何が言いたいかというと、口に入れたときのお米が軽いのです。
寿司のシャリでも空気が入ってる方が美味しいと言いますよね。それと同じです。
食感が美味しいと言うんでしょうかね。
とにかく美味しいと感じるのです。

先代のオッちゃんはただご飯をよそっていたわけではないようで、よく見るとご飯を茶碗に優しく置くようにして、何回かに分けてよそっている。

ご飯って茶碗へのよそいかたで美味しさが変わるんです。驚きました。
ここまで味を左右するものだと"よそう"もひとつの調理と言えそうです。

なのでこれを知ってからは、自分もなるべく優しくご飯をよそっています。
お米はギュっとしない、愛してるからこそギュっとしない。お米にはお米の愛しかた。

かわりにわたしはわたしを強く抱きしめる。
内ポケットに忍ばせた小腹用のおにぎりがぺったんこに潰れて、肋骨のギプスみたいになってしまったとしても。

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