窓越しの【ショートストーリー】
世界的に大流行した感染症で、医療現場は未曾有の事態に陥っていた。薄れゆく意識の中で、患者は何を感じていたのだろう。
「人工呼吸器を使って治療していますが、呼吸状態は悪化しています。正直これ以上治療の手立てがないというのが現状です」
「回復の見込みはないと言うことですか」
「残念ですが、体が治療に反応しなくなってきています」
ナースステーションでは、患者の家族が主治医から病状の説明を受けていた。
今夜は夜勤だ。防護服に身を包んだわたしは、硝子窓の向こう側で患者のケアに当たっていた。慣れない特殊なマスクとフェイスシールド。手袋は二枚重ね。不織布の防護服を来ていると暑さで体力が奪われていく。次々と症状が悪化していく重症患者。治療法が確立されていない感染症に、自分もかかってしまうのではないか。スタッフは一致団結していたが、終わりの見えない不安と恐怖を感じながら仕事をしていた。
面会は厳しく制限されていた。硝子窓の向こう側から、家族が泣きながらこちらを見ていた。家族を大切にした良き夫であり、父だったと伺っていた。
「佐藤さん、奥様と息子様と娘様が来てくれてますよ」
手を伸ばしても触れられない。励ましの言葉をかけることもできない。窓越しに愛しい人の変わり果てた姿。自分達も感染してしまうのではないかという恐怖心。患者と家族の気持ちを考えると、胸が張り裂けそうだった。
午前三時、佐藤さんは治療の甲斐なく、医療者に見守られながら息を引き取った。死後の処置を終えて、ご遺体を納体袋に収めた。間もなく葬儀社が到着し、その場で納棺を行い密封した後、目張りをした。今までで一番辛いお見送りだった。
家族は臨終に立ち会うことも、最期のお別れもできなかった。
もう少しやれることがあったのではないだろうか。このような状況下でも、自分達にできることは何かないかと必死で模索していた。わたしたち看護師も人間だ。激務の中で体調を崩す者や退職者も相次ぎ、報われない思いばかりが募っていった。
生きていくことは、喪失の連続だ。悲しみは波のように、繰り返し押し寄せる。大きい波の時も、小さい波の時もある。時間の経過とともに、いつか大切な人との思い出が支えになり、前を向ける日が来るかもしれない。
喪失の体験を受け止め、悲しみと折り合いをつけて生きていくには、より多くの時間がかかるだろう。
あれから4年が経っていた。世界は日常を取り戻しつつある。これからも感染症との闘いは続いていく。
わたしは今日もあの硝子窓の向こう側で、患者の回復を信じ生命に寄り添っている。
文披31題Day16「窓越しの」
あくまでもフィクションだと前置きして
自分の経験を下に書いた
ショートストーリーです
書いていて色々なことを思い出しました
これからどう生きるか
まだ迷い続けている
進むべき道は
何処で働いていても
目の前にいる患者さんを
精一杯支えていく
それしかできない
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