何故コーチングが必要になるのか

※これはある程度、競技シーンなど、本気でスポーツをする方々に向けて書いております。

こういうコーチング方法をすることで、どうなるのか、どうなっていかなくてはならないのかをここに記す。

コーチングとはなにか

改めて確認したいと思う。コーチングとは何なのかを。

コーチング
コーチングとは、 運動・勉強・技術などの指導をすること。英語 coach の動詞のうちコーチする意味の現在分詞。 促進的アプローチ、指導的アプローチで、クライアントの学習や成長、変化を促し、相手の潜在能力を解放させ、最大限に力を発揮させること目指す能力開発法・育成方法論、クライアントを支援するための相談の一形態。。ウィキペディアより

要するに「成長や変化を促し、最大限に力を発揮させる」ようにする人のことだ。

 それには様々なアプローチがある。いくつか例を挙げてみていくことにする。

ティーチング

いきなりコーチングからティーチングの話にかわる。必要に応じてコーチはティーチングすることもあるからである。これはコーチングの事前準備といえるだろう。

もしも選手(コーチングを受ける人のことを今記事では選手と呼ぶことにする)に明らかに足りない知識があるのであれば、ティーチングすることが第一ステップになるはずだ。

しかし、この行為には大きな危険があることを忘れてはならない。

・情報を鵜呑みにしてその場で滞ってしまうケース
・自分の意見を発信しなくなるケース

要するに教えすぎ(ティーチングしすぎる)はコーチングの意義に完全に反した状態を引き起こす。これは試合の中、選手間でも発生する問題である。

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こうして言われたことをやるだけの選手(時に怒られたりすると更に悪化する)は自分で考えて判断できない状態になってしまっている。

これはティーチング過多においても同様に発生する。知識や判断基準をティーチングしすぎるが故に、その固定概念に囚われてしまい、勝利に対して必要不可欠な正常な判断が困難になってしまうのだ。

傾聴

これは「けいちょう」と読む。漢字読めたか?

さて、これはコーチングにおいての第一歩だ。選手の話を傾聴すること、これはコミュニケーションの始まりである。まずは選手の話を全て受け入れて聞くことから我々のコーチングが始まる。

傾聴が何において一番大切であるかというと、信頼関係の構築である。選手はほとんどの場合、コーチより実力があり、そしてプライドも高い。だいたいの場合その競技においては非常に自信と実力を持った人間であり、私のようなコーチが「こっちの方が最適なんじゃないの?」などと講釈を垂れたところで、聞く耳を持たないなんてこともある。

もちろんあまりにプライドが高すぎて本当にコーチングを受けることに適さない選手も存在するが、おおよそのケースでコーチが十分な信頼関係を構築できていないことが問題となる。

まずは信頼関係を構築するために選手の話を深く聞き「共感」すること

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その為に傾聴する。

相互リスペクト(余談)

僕の感情的な部分の話だ。僕は選手としての実力は二流であり、到底選手たちに及ぶ実力はない。なので選手の強さについて十二分にリスペクトしている。そしてその判断や経験がいまの立場を作っていることを理解して肯定している。試合の中で私なら「こういう判断しないだろうなぁ」と感じるようなシーンは確かにいくつもある。しかしその判断はえてして決して白黒では決められないようなグレーの要素であることがほとんどである。ここで相互リスペクトの感情がないと「お前の判断は間違いだ!」となりがちなのだ。選手にも選手なりの考えがある。情報を与えて再考させ、選手たちの中でそれぞれの意見を集めることが大事なコーチのお仕事なのである。その為の相互リスペクトだ。

問いかける

そして選手の気持ちを十分に理解して次のステップに進む。ここがおおよそコーチングの本分である。問いかけである。

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選手個人個人にうちにある判断やその理由を読み解いていく。「その選手しか持っていない情報」を引き出すのがキーポイントだ。そしてこの情報というのは選手それぞれが別々に持っている情報である。

問いかけによってコーチは選手それぞれが心のうちに持っている判断基準・知識・情報を引き出して共有していくのだ。

調整する(余談)

チームで行う競技を想定すると、ここで次に入るのは選手それぞれの意見や考え方の向きをある程度調整することも必要になる。個人個人の考え方も大事であるが、チーム全体の方針も非常に大事になってくる部分がある。このNoteでは書ききれない部分でもあるので、ここは簡単に大事なことを書き記すことにする。

選手の意見に大きな優劣があったとしても、全員の長所を見抜いて、肯定することだ。理想論ではあるが、チーム競技において一人とて判断の出来ない人間はいてはならないのだ。選手たちもそれぞれお互いにリスペクトし合って忌憚のない意見をぶつけ合う必要があるし、コーチもまたその意見を否定せずにディスカッションに参加していくのだ。

結果的に勝つことが最優先される判断になるように、そしてその判断に対してプライドやその他の感情が邪魔をしないようにせねばならない。

承認する

さて問いかけてみたら様々な意見が出てきたとする。次はそれを承認してやらせてみることが、コーチングの第三ステップと言える。ようするに選手たちの考えている勝つ為の方法を実践させることだ。

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結果が例えば失敗だったとする。その時に間違ってもほ~らダメじゃないかなどと言ってはならない。そこではコーチ自身もその手法の問題点や失敗した理由について考えていかなければならない。

コーチは選手を支える存在であって、上に立つ存在ではない。しいていうならば共にあるのだ。

そして成功した場合は一緒に喜んで褒めまくるのだ。単純なのだが、それが人間にとっての一番の原動力である。選手も人間なのでね。

チーム競技における自己主張の重要性

日本は個人競技と比べると、チーム競技は優れた成績を残しにくい傾向があるような気がする(※それって僕の感想ですよね)

日本の教育は99%がティーチングである。ティーチングは自己主張するコミュニケーション能力を育てないのだ

コーチが「右~」といって選手が右へみんな進むのは非常にイージーである。チームがバラバラに動くよりはリーダー格となったコーチが全員の動きや方向性を定めた方が”チーム力”は高くなるように思える。

しかしこれが大きな問題となる。

もしも選手それぞれが自己主張して方向性を自在に調整できるチームがあったとしたらどうだろうか。もちろんこれには選手それぞれにコミュニケーション能力の高さであったり、自己主張できる自信や行動力が必要になってくる。結果としてコーチが「右ッ!」と決めるより、選手自身が勝利の為に左右を判断して勝利への行動を取る方が最善であることが多いのだ。

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日本人はこの1,2番目のステップが苦手なのかも。自分なりのアンサーを持つ部分や、人に意見をぶつける部分がね…(知らんけど)

最後に

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チームの力を最大限に活かすためには、それぞれの自己判断からの要請が必須である。その為には自信をもって判断をつける必要がある。

「自分が守っている個所に敵がきている」という情報発信より「敵がきているから一人残してシフトしてくれ」という責任を伴う判断をして欲しいのだ。

報告よりも重く責任を伴うこの発言を出来るようになったときに、チームはより早く正確に動けるようになっているはずだ。

その責任を伴う発言には、選手それぞれの自信と判断力が必要になってくる。それを伸ばす、つける、為のコーチングを、僕はしているつもりだ。

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