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大学の終わり

 2024年2月18日

 2月16日,卒業論文の発表が終わった.これで晴れて卒業だ.

 2月15日のトウフーというユニットライブとその後にあった短尺王というライブが終わり,その足でつくばへ向かった.

 発表会は朝9時から始まり,僕はトップバッターだった.家から朝早く起きてつくばに行ける自信がなく,前乗りを選んだ.

 しかし,トウフーの出番前あたりで恐ろしいことが起きた.「当日の朝,卒業論文を提出してください」という連絡メールを来た.僕は卒業論文を書いていなかった.

 というのも,元々は卒業論文を書くと思っており,一月末に論文提出に向けて,論文を途中まで書いていた.しかし,実は論文ではなく論文要旨の提出だった.なので,論文を書くのを止めて,論文要旨を書いて提出した.

 それ以前もそれ以降も,何の連絡もなかったので,「ああ,卒業論文はいらないんだな,卒業論文要旨だけでいいんだ」と認識していた.

 なのに,急に卒業論文の提出の連絡が来た.胸の辺りが不気味にひんやりした.これはまずい.どうしよう.高校陸上最後の県大会で長距離用シューズを忘れた時以来.


 数日前からプレゼン資料と発表概要の要旨を作っていて,つくばに着いてからもプレゼンの練習をしなくちゃならないいけないのに,その前に論文を書かなくちゃいけなくなった.ただ,途中まで論文を書いていたのは救いだった.つくばに着いて午前1時,自分の認識不注意を呪って書き始めた.しかも,こういうことはよくあり,情けなかった.

 午前5時,終了.発表は九時.プレゼンは12分以内.心配ごとはたくさんあるが,1時間だけ寝た.

 起きてぎりぎりまで,プレゼン練習をして,いざ発表会へ.論文を会場の後方で提出して,9時10分,僕の発表が始まった.

 朝早いこともあり,教授があまりいなくて,質問がそこまで飛んでこなかった.あと訊かれるであろうと想定していた質問ばかりだった.正直,資料は所々,話を強引に持っていく箇所があり,その流れがさも当たり前のように開き直って話したら,誰もそこに触れてこなかった.いろいろラッキーだった.

 後で他の人に訊いたら,論文は卒業要件ではなく,書かなくても卒業できるらしい.だけど,暗黙の了解で,僕の所属しているコースではみんな書く流れになっていたそう.論文の必要について,僕が連絡を見逃したのではなく,本当に連絡がなかったのだ.

 ムカっとしたが,僕も半ばヤケクソで書いた論文であったので,まあラッキーだなと思った.とりあえずは,これで卒業できる.


 この後,16時まで発表会で,そこからゼミへ行き,21時に終わった.家へ着いたのは,午前0時を過ぎていた.

 いろいろあったけれど,なんとか大丈夫だった.ただ,卒業式は,新ネタ三本ライブ「蒼色波」が被っており,出られない.

 さらばつくば!

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