見出し画像

にじり寄ってくる感傷にはもう飽き秋

 2024年9月30日

 自分の自転車の駐輪番号を入力し間違えて,知らない人の駐輪のお金を払ってしまった.僕の200円だった.どっかいっちゃった.しかたないか.買おうと思ったコーラは我慢した.

 最初はもちろんジュースが好きだったけれど,小中高生のころはお茶の方が好きだった.今はまたジュースに戻ってきている.特にコーラが良くて,何もなかった日ほどコーラを飲みたくなる.ガソリン1ℓで170円,コーラはそれよりもちょっと高いって考えると,大切に飲まざるをえない.


 一昨日,たこわさびを食べた.そういえば,いかの塩辛とたこわさびは異なるけれど似ている.いかとたこ,赤色と緑色で異なりつつも,同じ辛いおつまみではある.なんだろうな,この似ている感じは.僕の中では,ポケットモンスターの赤/緑みたいな関係に近い.ポケットモンスターいかの塩辛/たこわさび.僕はたこわさびの方が好き.


 目立ったことは無いけれど,公園で10分ぐらいうろうろしていたら,蚊に7か所も刺された.まだいるのか.仲間の蚊はいるのか.いるといいね.

 そういえば,僕は昔,11月にアブラゼミを見たことがある.なんとおっちょこちょいなセミだろう,バカだなあ.じりじりじりと正直に鳴いていた.まあ,逆に開き直って鳴くしかない.冬になりかけている空によく響く蝉の声は,もはや浅すぎる孤独を表している.

 でも,タイミングとは恐ろしいものだと思う.このセミは地上に出るタイミングがずれただけで,一匹で生き終えることになったけれど,幼虫の頃,余分に木の汁吸っておこうとか思わなかったら,こんなことになっていなかったかもしれない(僕の想像).ただ,ヒトだって,事故や事件も家に出る時に新聞受けを確認しなかっただけで起きなかったのかもしれないのだ.

 それにしても,タイミングの連続の中で生きている.それは永遠に飛んでくるバレーボールを受け続けるリベロのようなもので,違うのは失敗が失敗で終わらず,一歩間違えたら末恐ろしいことになる点.

 といいつつもまあ,そんなことは早々起こらないわけで,そんなことを常々考えていたら,何も出来なくなる.だから,矛盾しているが,失敗が怖いと思いはするけれど,失敗しないように生きることもしない.

 だがだが,現実は非情なんかではなく,元々そういうもんで,やっぱり,へらへらしながら,のんきに川べりを散歩していても,たまにごくたまに,ナイフの切っ先の沈んだ冷たさが,ひゅうっと,喉元に触れる.ゆえに生きているなとも思う.


 雪舟えま「タラチネ・ドリーム・マイン」を買った.6800円だった.ずっと欲しかった本だったけれど,軒並み10000円を超えていて,手が出せなかったところ,たまたま見つけた.すごく嬉しい.でも,なんとなくまだ読むタイミングじゃない気がして,置いてある.

 服や曲もそうだけれど,ここだァというタイミングが必ずある.そのときに聴いたり読んだり着たりして,そうそうこれこれと思った日はもうとんでもなく幸せなのだ.とにかく僕はその幸せだけで生きていけるとまで思っている.


 とりあえず最近は,ハイポジ「ジェニーはご機嫌ななめ」とSerani Poji「スマイリーを探して」を聴いて,江國香織「雨はコーラを飲めない」,鷺沢萠「川べりの道」,芥川龍之介「歯車」を読んで,薄いクリーム色のチェックシャツを着て,生きている.

 「どこにもいない見つからないんだ 僕と旅する友達なんだ ~ Where is my friend smiley 探している友達のスマイリー」って,なんでこんなにもこんなにも,冬の日の高い高い空のように清々しく歌えることが出来るのだろうか.悲しくはないのだろうか.僕にはそれが分からなくて,自分がとんでもなく駄々っ子のような気がしてくる.

 でも,やっぱり最後は悲しそうだ.







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?