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木偶の坊主

 2024年9月28日

 髪型を変えようと試行錯誤した結果,坊主へカムバックすることになった.失敗して短くしては失敗して短くしては失敗して短くして.秋風がこそばゆくて仕方がない上部15ミリ側頭部6ミリ.

 肌の日焼けも落ち着いたので,ひどく病的に見えるのは気のせいだろうか.こんな人が近くにいたら,みんなたまったもんじゃないだろうと思うので,なるべく明るめの服を着ている.でも,明るい青白い坊主がいても,どうしたらいいかみんなわからないだろう.一人慄いている.


 そんで,たまたま読み返していた20世紀少年で,おいおい僕にそっくりな奴がいるぞと思ったら,13番こと田村マサオだった.

 ガラスや水たまりに映る13番.宇宙と一体化できたらいいなァ,なあ田村マサオよ.

 ちなみに実写版映画だと井浦新が演じていた.そうだったんかいな.アンナチュラルの中堂さんのイメージが強かった分,衝撃も大きい.

 急いで,アンナチュラルも20世紀少年も好きな新井さんに「実写版の13番,井浦新だったらしいよ!」と教えたけれど,なんでかピンとこず.そのとき,僕も中堂さんの名前が出てこず,「ほら,ええっと,アンナチュラルのあの『バカが』『クソが』の人です」と伝えると,ようやくピンときて驚いていた.中堂さんといえば,口の悪さ.


 コンタクトレンズも買った.コンタクトにすればいろんな眼鏡がかけられるだろうからという理由.とりあえず眼科に向かった.

 現在,どうにもこうにも田村マサオなので,眼科の人になるべく不気味に思われないよう,ワントーン高い声でしゃべることを心掛けた.眼科の人は,具体的に話をしてくれるし,動きもテキパキしているとても気持ちの良い人だった.

 試しにコンタクトレンズをつけてみましょうかとなり,鏡の前へ.使う目的やら目の感じやらを聞かれて,○○がおすすめですと,眼科の人はあれよあれよと三種類も用意してくれ,ぱかりとコンタクトレンズの入った小さな袋を全て開けてくれる,後は僕がレンズを入れるだけ.

 ここまでしてくれるのが申し訳なくて,全部頑張ってつけようと決意.気持ちはギブアンドテイクだから.


 だが,一個目からまったく入らない.人差し指の上でレンズがひっくり返るし,目までもっていくとちょっとずれてふちにぶつけたり.どうしよう.横で眼科の人があ,そうそう,うんおしいと小声で言ってくれている.だが全然入らない.踊り狂うレンズとトンチンカンな人差し指は続く.

 早く入れなきゃ.試みるたびに,いい感じ,ああ,おしい,と声をかけてくれている.なんてったって気まずい.どうしよう.ああ,コンタクトレンズの入った袋もこぼしちゃったよ.

 裸眼だと見えないからコンタクトをするわけで,そのコンタクトを入れる作業は完全丸腰,視力がないわけだから,そりゃあ難しいわな,と心でぶーたれる.それでも,眼科の人はおしい,あとちょっと,でもさっきよりは成長してるとまで言ってくれている.なんて優しい人だろうか.


 ていうか,さっきから,僕の瞼,全然開きやしないな.指で押し上げても,なんか戻ってくる.ぷるぷる震えるのみ.けれども連動して,黒目だけはそのまま上方へ.目を押さえる右手のひじは斜め上を向いて,コンタクトの乗った左手の人差し指は恐ろしく力が入っている.サイケデリックチベット僧.

 目の前に広げられているコンタクトレンズの説明書のイラストを見ると,目ん玉をメッチャおっぴろげている.うそだァ,ええ,みんなこんなおっぴろげられるのかな.

 もう思い切って,「いやぁコンタクトレンズというのは難しいですねェ,ぼかぁ不器用なんです」と言って笑ってみた.ぼかぁというのはたまに使っている,効果があるか分からないが,敵意が無いただの木偶の坊ですぜと暗に示せそうな一人称.眼科の人は笑っていた.

 おお,よかった.ゆるやかに流れる安堵の空気.知り合いになった瞬間.聞こえる眼科の人の声にも緊張が無くなったんじゃないか.うーむ,やはり田村マサオが少し怖かったんだ.

 そこからは談笑を交えつつ,こうしたらいいああしたらいいと色々教えてくれる眼科の人.本当に優しい.それでもなかなか入らない.ぐりぐり押し付けたり,力を緩めたり.惜しいと言ってくれる声.それでもなかなか入らない.

 言ってもそろそろ入れないと.この落ち着いた空気は永遠に続く訳じゃない.こいつ全然入らないなと思われたくない.それよりなにより,眼科の人は何回,惜しいと言ってくれたのだろうか.その「惜しい」が形式の「惜しい」に変わるまでには入れたい.眼科の人に「私今,『惜しい』という言葉を発しているだけだな」と自責の念に駆られてほしくない.


 結果としては,明らかに惜しいしか言わなくなってしばらくしてから,レンズが目に入った.申し訳なくて,なぜか思わずすんとしてしまった.してしまったが最後,知り合いから,よく知らない田村マサオに戻った.内情的には,急に壁張ってきたじゃんこの人と思われたのだと思う.以降は事務的な会話が続くのみ,結局,コンタクトレンズの試用も最初につけたやつ一種類で終わった.

 申し訳ないのならば,頬を赤らめて,いやァどうもすみませんでした,と拙くもそのまま感情を伝えるべきだった.自分の見た目なんか気にせずさ.



 とまあ,そんな感じでコンタクトレンズを手に入れた.レンズの入れ方は,全然慣れない.


 帰りに駅前に突っ立っている人とたまたま目が合った.ぐいと逸らされた.やっぱり怖いのかな申し訳ないと思い,横を過ぎた.後方でその人の「こちらカットのクーポン券です」という声が聞こえた.なるほど,美容室のクーポンを配っていたのか,そりゃあ目を逸らすわな,とちょっとだけ安心した.


 脈絡もへったくれもないことだが,今年の秋の始まりに関して,ハイポジ「身体と歌だけの関係」という曲がよく似合う温度と湿り気だなという,個人的感想を抱いている.



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