されど続く日々
2024年10月24日
今日はサンマルクカフェで,たまたま人間横丁の山田さんに会った.にこにこ笑っているので,どうしたんですかと訊いたら,何か奢ってあげるよとのこと.おつりもくれた.それはなんとなく,いつまでも取っておこうと思ったので,財布の小銭入れじゃないところに入れる.山田さんには会うたび,いつも何か奢ってもらっている.僕はそれがすごく嬉しい.山田さんはグミが好きなので,今度あげようと思う.すっぱいすっぱいやつ.
川上未映子「世界クッキー」を読んでいる.読んでいるというより食べている.食べているというより貪り喰らっている.ひたすら無心でがつがつと.面白いという快楽しかない.
美味しい料理は身になることはなく,かならずいつかは身体から出ていくはずなのに,求めてしまう.正直,到底参考にできないほどの圧倒的な言葉並び.無謀な憧れ.こんなにも愉快な文章はない.もはや変に学ぼうとするのもおこがましい,これはまさに天性なんだろうなという心地よい諦め,それでいてもう本当に読みたくて読みたくて.まさに美味しい料理と同じ.ただ味わいたい,もう黙って読む,変な思惑などいらない,純然たる態度で読むことこそが美味さを引き立てるはず.
普段,総じて身になるから摂取する,という風に生きているわけじゃない.しかし,大人になって社会で自分を確立させようと試みるとなると,どうしても身になりそうだという理由で摂取するものを選んでいる気がする.
どこか本を読んでも曲を聴いても何か真似できないかとか何が好きなのか言語化できないかとか考えてしまっていた.
本当に久しぶりだ.なーんにも考えずに読みたい.純粋に味わいたい.本当に素敵で美味しい本だ.
最近,ご飯を食べる欲が特にないから代わりに読んでいる.それで僕はお腹いっぱい.実は読むのは二度目,けれど悲しいことにもうそろそろ終わるから,ちょびっと齧ってちょびっと齧っての繰り返し.だが,ここまで来たら,ずっと目ん玉ひん剥いて読み続けようかしら,もう自分勘弁してくださいと思うところまで.
フジファブリック「陽炎」を聴いていて分かったことがある.陽炎とは,様々な濃度の空気を重ねて見たとき,それぞれの空気の光の屈折率が異なるがゆえに景色が歪んでいるように見えることを指す.
そうして,昔の人生を振り返って見てみれば,様々な濃度の空間が連続的にまっすぐ自分に繋がっているようにも思う.その様はまさに陽炎,人生は陽炎のようなものだと,僕は分かった.
「陽炎」を聴きながら,悲しいことを悲しいと,嬉しいことを嬉しいと,手放しに思っていた自分が遠い記憶の彼方にあることを感じて,心細くて毛布にくるまって寝る秋の夜であります.
元気がない時,T.M.Revolution「HOT LIMIT」のPVの,海での爆破シーンを見る.爆破の勢いが強すぎて魚が飛んでいく.嘘みたいにばいーんと.かわいそうなのだけど,なぜか見たくなってしまう1シーンである.