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【試写レポ】『鬼が笑う』東京新聞試写会【33_2022】

ごきげんよう。雨宮はなです。
最近、良作なうえに好みにあった作品ばかり試写会で拝見しているような気がしています。今回も素晴らしい作品で、メッセージや問題提起だけに力がそそがれるのではなく映画作品としてとても面白いものでした!

今回は作品についてとイベント、試写会について語ります。
※今回は公開前ということを踏まえ、ネタバレのないよう頑張って作品について紹介します。

作品について

監督たちが「重いですよ」と前置きしたり、某映画情報サービスが『ダンサー・イン・ザ・ダーク』『ミスト』に連なる“トラウマ映画”などと宣伝しています。
私は「現実を突き詰めた結果のファンタジー」だと印象を受けました。これは『マイスモールランド』にも共通した印象です。

外国人技能実習生やブラック企業、犯罪者のその後についてなど、確かに社会的な課題を多く含んでいます。これを重要なことと重く受け止める人はもちろん多いことでしょう。ですが、「重い作品だ」とレッテルを貼るだけで喜びたくはないものです。

だって、悲しいけどこれ現実なのよね。

「人」であること

イベントで主演の半田周平さんが「日本人とか外国人とか、そういうんじゃなくて。みんな”人”なんです」と仰いました。昨今、問題とされているものにたいするアンサーはこれに尽きると思いました。

私はこの作品が動くとき…例えば人が何か気持ちを動かしたり、映像が色づくときというのは、”人が人を人として扱わないとき”が非常に多かったように思います。もちろん、楽しいシーンも温かいシーンもありました。けれど、「人」であるということはこういうことだと訴えるようなシーンは、親が子に語ったり学校における道徳の時間で扱いたがらないシーンだったように思うのです。そんな内容を代わりに引き受けるような、そんな映画だと思いました。

「人」であること、それは「勝手」であることなのかもしれません。

誰にとっての最「善」か

これも物語に大きく関係するテーマだと思います。どの人物も、自分にとってその場の最「善」を尽くしているはずなのです。悪役の行うそれであっても例外はありません。そして、それが最「良」であるかは別です。
「よい」という言葉でいえば「好い」といえる場合もあったように思えます。

自分にとっての最「善」は未来においてもそうなのか。
自分が相手を思いやって考えた最「良」は、相手にとって最「善」で最「良」なのか。

選べない最「善」とは、一種の絶望なのではないか。
そう思わざるを得ませんでした。

イベントについて

今回の試写会は神楽座で行われました。以前、『生きててよかった』の試写会も同じ会場で行われました。その際は主演さんがフライングで舞台上に登場しましたが、今回は監督がフライングで登場なさいました。神楽座にはおちゃめさんが集うのだろうか…ほっこりしました。

監督、主演、そしてNPO法人Adovoの代表補佐さんが登壇、トークをしてくださいました。
話題はどうしても外国人技能実習生に関するものに寄りがちでしたが、作品内で扱うにあたってただ取り上げるのではなく、近い場所で観察を行ったことなど貴重なエピソードが満載でした。

試写会について

新聞社主催だからか、年齢層が高めに感じました。おそらく作品内の人物たちに近しい人間に接することが少ないであろうタイプに思えました。「そんな人たちに刺さるのか?」とも思いましたが、観終えた後でそんな人たちにこそ届ける必要があるのだと考えを改めました。

彼らは主人公の母親に近いタイプ。
むしろ一番観て欲しい対象なのかもしれません。

さいごに

トークイベント中に「なぜ日本人同士では敬語、外国人にはタメ口を使うのか?」という問いかけがなされました。無意識のうちに「日本語を扱える人間は上、そうでなければ下」と扱っていないだろうかと。「無意識に馴れ馴れしくなるのは何故なのか」と。

私もよく感じる疑問でした。相手が外国人でなくとも、病院内においてなぜ医療従事者はこちらを子どものように馴れ馴れしい口をきくのか、年上の人間が年下の人間に対して最初からタメ口なのはなぜか。

無意識の馴れ馴れしさ、人としての扱いに疑問を投げる『鬼が笑う』は、6月17日(金)よりロードショー!

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