見出し画像

5日間限定上映なんて惜しすぎる、映画『PARALLEL』のお話

ごきげんよう。雨宮はなです。
特徴的なビジュアルに興味を惹かれ、あらすじを読んで気になっていた作品がこの『PARALLEL』でした。
テアトル新宿にて21時から、それも5日間だけ…。
時間は自分でつくるもの!
…ということで3日目に行ってきました。

上映前後イベントで贅沢サンドイッチ仕様

短期間のお目見えをいっきに盛り上げる作戦でしょうか。
上映前は役者陣による舞台挨拶、上映後はゲストを呼んでのトークイベントが連日開催されているようです。

上映前の舞台挨拶では素顔の役者さんたちを拝見することができ、「さっきのあの人がこのキャラクター…?」とギャップに驚きました。
上映後のトークイベントはラジオで2時間の特番を組んでくれないかなあと思うほどにもりだくさん!
メモを取るのが追いつかないほどでした。

作品はみごとな「パラレル」

最近ではアニメやら映画やらでパラレルワールド(並行世界)が扱われる作品が増え、比較的耳にするようになった言葉になった、「パラレル」。
では、この作品はパラレルワールドをネタにしているのかといえば、それは違います。

パラレル:並行、並列

私が感じたパラレルは、
①ヒロインと殺人鬼に対して
②死に対して
でした。

①ヒロインと殺人鬼に対して感じたパラレル

ヒロインと殺人鬼は人間の三大欲求のうち、「食欲」しか共有しません。
それも、デート中にクレープを食べるだけというもの。
なので、食欲を司ってよいものかどうかさえ危ういです。

恋愛映画にありがちなセックスシーンはこの映画にはありませんので、「性欲」の共有がありません。
身体でまじわることがない。
セックスシーンよりもよほど美しく哀しい、共有シーンがありますが、あれはセックスシーンの代わりではないでしょう。

では最後、「睡眠欲」の共有は?
これも、まじわることなく終わります。
そして、私がいちばん「パラレル」を感じたシーンでした。
並行、並列というと無個性な何かがきちんと並べられただけのような感じがします。
ですが、ヒロインのとった「パラレル」は「寄り添う」というものでした。

まじわることはなかったけど、二人とも自分なりにそれぞれに寄り添っていたなあと。
それが自分都合であったとしても、相手に踏み込み過ぎることなく、だから彼らは「パラレル」でいられたのだと思いました。

②死に対して感じたパラレル

死というものは全ての命に等しくやってくる。
それが早かったり遅かったりするだけで、痛かったり辛かったりするかもしれないだけで。

この映画の死は、その対象の本性と抱き合わせでした。
ヒロインの父母、ヒロインを襲った男性、ヒロインの“親友”。
それに、“同志”や“殺人鬼”も。
人を平気で傷つけたり、そのくせ襲われるとビビッて助けを乞うたり…。
本音を出せば出すほど、死に近づいているような感覚さえありました。

最後、ヒロインに自分の胸の内を語り、扉を開けた先で死んでしまっていた殺人鬼は本性を明かしたことで死の扉を開いたような気がしました。
では、ヒロインが死んでいないのはなぜか?

彼女はすでに一度死んでいるからではないか、というのが私の考えです。
彼女は虐待を受ける中ですでに一度、人格を殺されていた。
父母が女装殺人鬼に殺され、彼が押し入れから出してくれた(扉が開いた)ことですでに生まれ変わっていたのだとしたら。
殺人鬼に寄り添い、手を握ったのはあちらへのお迎えだったのかもしれません。(フランダースの犬的な)

好きなセリフ3選

①「これやると肉、食いたくなるんだよな」
②「神様が人間をつくったのは、きもちよくなりたいから」
③「親が死んで嬉しい」

これだけ見ると「なんちゅう映画だ」と思われるかもしれませんが、キャラクターをよく描いているし、個人的には「よく言ってくれた!」「おもしろい!」とその場で拍手したくなるほどでした。
ぜひ、本編中に確認してほしいです。

おわりに

非常に残念なのが本日(29日)で、テアトル新宿での上映が終了してしまうということです。

5日間限定て!
スタート21時て!
なかなかに厳しいわ!

でも、どうにか観に行けて良かった。
もう一度くらいスクリーンで観たいし、人におすすめしたいので今後の上映館拡大に期待しております。

最後まで読んでくれてありがとうございます。
ではまた次の記事で。ごきげんよう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?