見出し画像

ホラーやスリラーは「みえてる」方が怖くない

ごきげんよう。雨宮はなです。
ある有名なゲーム実況者の方が言いました。
「見えてる方が怖くないんですよ」と。

なるほど確かにと思ったので、何がみえている方が怖くないかを考えてまとめてみました。
怖さの原理や、自分が何を怖がっているのかに気づけたら実は案外怖くないかもしれませんよ?

事件がみえている間の方が怖くない

事件がみえていないと、”何が起こるかわからない”という未知に対する恐怖がずっと残ったままになります。
知らないモノやコトを「何かあるぞ」「とにかく注意するんだ」と思いながら過ごしているのは緊張状態を持続させ、強いストレスを与えてきます。
そしてストレスに晒された状態は恐怖を増加させます。

事件がみえて/起こっていれば、まだ問題を解消するチャンスがあるということです。
気まぐれに、何も解決していないのに事件が終わってしまうと「いつ同じ恐怖が再開するのか」という別の恐怖に支配されることになります。
それに、事件は画面の中で起こっています…つまりあなたは、”自分は現在安全である”という認識ができるのです。

ほら、怖くない。大丈夫です。
安心してスクリーンに集中しましょう。

目で見えている間の方が怖くない

これは例のゲーム実況者さんが強く主張していた「見える」の内容ですね。
鬼ごっこ系ホラーゲームでは相手が見える(認識できる)範囲にいる方が動きやすいのだと。
そう、見えているというのは非常に強いアドバンテージだと気づくことが大切です。特に、恐怖の対象から逃げている間は。
ホラーやスリラーといった作品に「逃げる」シーンはつきものです。
ですが、逃げ切りも保護されたわけでもないのに、姿が見えなくなったからといって胸を撫でおろしたり、座り込んだり、声をあげて泣き始めるという行動パターンが多いですね。

しかし、見えなくなってからが本番。
いつ、どこから、どのように襲われるかがわからないほうがずっと怖いものです。
見えていれば、再度逃げるか対策を取り対抗するか、やられる覚悟をするという選択肢が生まれますし選択できます。
見慣れれば「見知らぬモノ」に対する恐怖というのは減っていきますから。

ほら、怖くない。大丈夫です。
あなたにはドリンクを飲む余裕があり、映画が終わった後で何の心配をすることもなくトイレにもお風呂にも行けます。

何かしら原因がみえてる方が怖くない

なにかトラブルが起こった時もそうですが、原因がわかっているのとわかっていないのとでは怖さの度合いが全く違います。
「ゾンビ」だの「透明人間」だの「フランケンシュタイン」だのが怖いのは、正しい知識でもって対象できない未知のものだからです。
知らない、ということがどれだけネックかというのは日常生活でも見かけられます。

『未知との遭遇』なんてタイトルだけ読めば怖さしかないですね。
”全く知らないものとうっかり遭っちゃう”んですからね。
怖くないはずがない。
どれだけ映画作品として怖いのかは、今後鑑賞して確認します!
知ってしまえばこちらのもの。知識は、情報は力です。

ほら、怖くない。大丈夫です。
夜はぐっすり眠れるし、起きたらもうあなたは怖がらない/怖さを自分で楽しめる人になっています。

おわりに

いかがでしょうか?
5~6年前、私はハッピーエンドのミュージカルか、ロマコメしか観られませんでした。
なんなら、映画は全て明るい恋愛のものしか選ぼうとしなかったし、そうでなければ駄作と思っていたほどでした。

そんな私がゾンビ映画好きになったりサイコ系の映画で人間観察を楽しむようになれたのは、自分が何をどう怖がるかがみえたからだと思います。
その証拠といってはなんですが、未だにジャパニーズホラーは怖くてダメです。
理由は、自分の生活環境と重ねて想像ができてしまうから。

ぜひ、自分にとっての怖いをみえる化して、様々な作品にチャレンジしてみて欲しいと思います!
今回も最後まで読んでくれてありがとうございます。
ではまた次の記事で。ごきげんよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?